【第六感】俺の稲妻

「高校二年生、十七歳。アイドル志望の松葉結奈です!」
 部屋に入るや否やそう叫んだ彼女の事を見た瞬間、雷に打たれたかのような衝撃に襲われた。つまりはその瞬間が、今までたくさん読んできた本の中によく出てきた表現を、身をもって体感した刹那であったという事だ。
 ああ、だけど、だけれども。この子は、アイドルになるためにここに来たのだ。だから……初めて自覚したこの想いは、彼女の足枷になる。
「トップアイドルになるんだろう? それなら、ボイトレやダンスの練習に加えて、体力づくりや楽曲・歌詞への理解を深めるための座学も必要だ」
「アイドルソングには、高校時代の青春や思い出を歌った歌も多い。そんな歌を歌うに当たって、実際に高校生活を経験しているというのはそれだけで強みになる。だからこそ、高校生活にも手を抜いてはいけない……次にこんな点数を取ってきたら、活動に制限を加えるからな」
「アイドルは体が資本だと何十回言ったら分かるんだ! 周りを……どうせ碌に成功もせず結婚に逃げるんだろと馬鹿にしてきた周りを、絶対に見返してやるという気概は買うが! 必要な休息をとってコンディションを完璧に整えなければ、最高のクオリティでパーフォーマンスをするなんて絶対に出来ない!」
 十代の後半というのは、とかく純粋で一生懸命で、だからこそ無茶をしがちな年代だ。だからこそ、先駆者である大人が時には嫌われる覚悟で叱咤しないと、せっかくの希望に溢れた未来が台無しになってしまう。
 特に彼女は……結奈は、僕の個人的な感情を抜きにしても、絶対にトップに立てる逸材だと確信した。ほぼほぼ直感のようなものだが、それでも……彼女には、ただでは終わらないと思わせられる何かがあった。
 だから。
「……今、何て?」
 驚愕の言葉が告げられた気がして、思わず聞き返した。嘘であってほしい、いや、真実であってほしい。そんな相半する気持ちに苛まれていると、間違いなく彼女の口から、貴方が好きだという告白が聞こえてきた。
 ああ、こんな状況でなければ諸手を挙げて喜んだのに。
「……こんな、六つも上で口うるさい男のどこを」
 六歳年下の女子高生に一目惚れした男もいるのだから、一般的な統計学的に逆もまた十分有り得るだろう。それに、真剣な表情で伝えてくれた想いを、冗談だろうという無責任な言葉で撥ね付けたくはなかった。
「口うるさく言うのは、私に期待してくれているから。私ならトップアイドルになれるって信じてくれてるから。私だって馬鹿じゃない、言われてる内容は至極まともだし、真に私を慮って思い遣って言ってくれてるって分かってます」
「それだけなら、それは恋ではないだろう。それと同じ事は、うちの事務所所属の他のアイドルにだってやっている」
「それだけが理由じゃない! そもそも一目惚れだったし……所属アイドルを公平に扱ってくれてる誠実なところだって、部下を大事にしてるところだって、よく頑張ったなって言って笑ってくれた顔も、飼ってるウサギの写真眺めながらでれっでれの表情してるところも好きです!」
「ちょっと待て最後のいつの間に!? いや、それは今いい……そうは言っても」
「言っても?」
 何も、何も考えなくていいのならば、今すぐに彼女を抱き締めて口づけて、さっさと恋人にしたいという欲は持ち合わせている。正直、両想いだったという事実を知って既に泣きそうだ。
 だけど、そんな本能のままに行動するのは、責任のある大人とは言えないから。
「……君はアイドルだ。アイドルとは偶像、理想の具現、崇拝の対象。だから、特定の対象を作るのは、君を応援し崇拝しているファンたちへの裏切りになりかねないんだぞ」
「それも……それだって、分かってます。だけど、貴方はかっこいいし私よりも年上だし大人だし。だから……もたもたしてたら他の人に取られるかもって思って……それで……」
「……」
 忍耐力を鍛えておいて良かった。恥ずかし気に俯いて手をもじもじとさせている、二年間片想いしてきた女の子にそんな事言われてみろ。もう全てをかなぐり捨ててでも攫いたくなるだろ。
「……安心していい。俺が君以外の誰かと一緒になるなんて、絶対にあり得ない」
「どういう事ですか……まさか!」
「だが」
 努めて冷静に聞こえるように、慎重に言葉を続ける。目の前の彼女は、困惑した表情を浮かべていた。うん、そんな顔も可愛い。
「今の君と、どうこうなるつもりもない」
「……どうして」
「君はアイドルになりたいと言ってこの事務所の扉を叩いた。そんな君の心には、壮大な夢と願いと、反骨精神と歌への愛があった」
 一目惚れした女の子が言っていた事なので、当時の面接内容はよく覚えている。もうこの世から消えてしまいたいと思うくらいに苦しかった時に、闇夜を照らす光のような存在に救われたから、自分も同じように苦しんでいる人を救える様な存在になりたいのだ。それをするならば、好きな歌でやりたいのだ……きらきらと瞳を輝かせながら、そう熱く語っていた。
 そんな煌めきが内から溢れる幻影を見たから、彼女はいけると思ったのだ。
「今の君は、自分で掲げて誓った夢を叶えるべく、努力を続けている最中だ。ようやく芽を出してきたくらいの頃合いで、他の事まで抱え込むものではない」
「……まずは、アイドルとして成功しろという事ですか?」
「十代のうちはまだまだ人生年月が少ないから色々と不器用だろう。無理に二兎を得ようとして慣れないマルチタスクをしては、結局どっちも中途半端になりかねない」
 年を重ねても出来ない大人が多いのだ、まして若者はという話である。もちろん例外はあるのだろうが……本気で何かを成し遂げたい、何かで頂点に立ちたい、と強く願うのならば、初めは一つに絞ってそれを中心に努力し突き進む……という経験をしていた方が、いざマルチタスクを余儀なくされた時にも成功しやすいと思う。
「だから、まずは、アイドル活動に打ち込みなさい。心の底からやりきったと思える時まで待つくらいの余裕は持っているから」
 正直半分くらいは嘘である。余裕なんて微塵もないが、彼女のアイドルとしての可能性に限界までチャレンジしてほしい気持ちも間違いなく本物なのだ。だから、ぎりぎりのところで歯を食いしばって余裕ぶっているのである。
「……分かりました」
 そう言った彼女の瞳は、初めてここに来た時と同じような光を湛えていた。ああ、その、眩しいくらいのその強さに、俺は一目惚れしたんだ。
「他ならぬ貴方がそう言ってくれるのならば、私は今以上に私の可能性に挑んでいきます。なので、全てやりきったその後の人生は……」
 そこで言葉を切った結奈が、一歩だけこちらに近づいた。ここで怯んではいけないと思い、動かずに接近を許す。
「貴方に全てお渡しするから、貴方の人生も下さい」
 彼女は、何かを掴もうとするように、右手をこちらに伸ばしてきた。まさかそう切り返してくるとは。あまりの大胆さと無鉄砲さに、背筋を稲妻が駆け抜けていく。
「約束しよう。その時は、大手を振って迎えに行くよ」
 伸ばされた右手へ、こちらの左手を伸ばす。互い違いに指を組んで、緩く握った。
「だから今は、ここまでだ」
 左手に感じる熱さが、俺の心を震わせる。頷いた彼女の目尻には、一粒の涙が光っていた。

  ***

「ママだ!」
「ママ!」
 子供たちが騒ぎ出したので、どうしたんだろうかと思って視線を向ける。一緒にテレビを見ながら二人に挟まれている最愛の妻・結奈は、そうねぇと相槌を打っていた。
「ひらひらきてる」
「アイドルだったから」
「このうたほいくえんでうたった!」
「これは七作目のシングルね……初めてミリオンいって、そこから一気に大ブレイクしたの」
「コンサートした?」
「たっくさんしたよ。この前野球見に行ったドームでもしたし」
「すごい!」
「すごいね!」
 子供相手にミリオンとか大ブレイクとか言ってもどこまで理解しているのかは甚だ疑問だが、とりあえずすごい事だというのは感じ取ったらしい。ママーと叫びながらしがみついているので、参戦すべくこちらも近づいていく。
「調整終わったの?」
 がら空きだった背中に抱き着くと、ぐぐっと体重をかけられた。今は歌手で二児の母な結奈は、久々のオフを満喫している最中だ。
「ああ。こちらが出した条件も全部飲んでくれた……流石、ダブルミリオンの元アイドル様だな」
 彼女は、年末の大賞受賞も歌番組出演も、ドームツアーも全国ツアーも全部やってのけた紛れもないトップアイドルに君臨した。ラストツアー一般販売チケットは全会場五分も経たずに売り切れてしまったので、慌ててライブの生配信を決めたくらいだ。
「だって、頑張ったもの」
 そう言った結奈が、くるりと後ろを振り向いた。ぎゅうと真正面から抱き着いてきたので、力の限り抱き締める。
「進む道は一本でも、進みたい理由が増えたから」
「……進みたい理由」
「闇夜を照らせる光になりたい、私を馬鹿にした奴らを見返したい、歌で生きていきたい……それに加えて、好きな相手と結ばれたい、も加わったから」
「んぐっ」
「私、今すごく幸せよ。アイドルとして成功出来たし、変わらず歌を歌い続けられてるし、貴方と結婚して子供にも恵まれたし」
 彼女と同じようにしがみついてきた子供たちの頭をよしよしと撫でてやる。しれっと自分の頭も差し出してきた結奈が愛らし過ぎて、思わず天を仰いだ。
「今の私がたくさんの幸せを掴めたのは、あの時まずは一つの道を突き進めと言ってくれた貴方のお陰だと思ってるの」
「……そうか」
「そうよ。だから、貴方の事は大好きだし、感謝もしてる」
「俺も結奈が好きだし愛してるし父親にしてくれて感謝してる」
「うん。だからね。ずっと、ずっと変わらず傍にいてね」
 最愛の妻となった女の子からの、切なる願い。勿論だという返事の代わりに彼女の右手を左手で強く握ると、同じ強さで握り返された。