私にとっては、それだけで

  

 本当は、もっと話してみたかった。
 貴女に甘えてみたかった。
 だって、私たちは姉妹なのだから。

――たとえ、周りの誰もが姉妹とは認めてくれなかったのだとしても

  ***

「お父様! どういう事ですか!?」
 うららかな昼下がりに、姉の珍しい怒鳴り声が響いた。あの温厚な姉が怒る程の事を父におねだりした自覚はあるので、黙って成り行きを見守ってみる。
「どうしたもこうしたもない。マキアス王子にはシャルロットを嫁がせるから、お前はアトラス伯に嫁ぐように」
「何故今になって!? もう婚約式まで済ませましたのに……今更別の子女にするとなれば、シャルロットが好奇の目に晒される事になりますのよ!」
 通常のご令嬢ならば、きっと、相手が王子から辺境伯になった事に憤慨するのだろうけれど。でも、この姉は、本気で私の方を心配してくれているのだ。それが自惚れでも盲目でもなくて、真実であると分かるくらいには……私は、この人の事をずっと眺めてきた。
「見くびらないでくれませんか?」
 カップを置いて、父に詰め寄っている姉へと言葉を投げかけた。じろりと睨んでみせると、彼女は産みの母と同じ色をしたサファイアブルーの瞳を、おろおろと彷徨わせて始める。そんな動きに合わせて、ウェーブのかかっているココアブロンドの髪がふわふわと揺れた。
「私はそんなに柔な女ではありません。それとも何です? 男爵とはいえ貴族の母を持つ自分の方が王子には相応しいから、辺境伯に嫁ぐなんて嫌だとでも?」
「そ、そんな……そういう、意味では」
「それなら黙っていてくれませんか。そもそも、この話は私の方からお父様にお願いした話です。私が良いと言っているのだから、貴女に拒否権はありません」
「でも……婚約者の事をこう言うのも失礼ですが、王子にはあまり良い噂がありません。お義母さまだって、きっと反対」
「誰が誰の母親ですって? 自惚れるのも大概になさって!」
 辛辣な言葉を突き刺すと、姉は口を閉じて項垂れた。ああそうだ、どうせ、私は姉にそんな表情しかさせられないのだ。だから、せめて。
「王子は私には優しいですよ。私は国でも一、二を争うくらいの大商人の娘を母に持ちますし、国立女学院の成績も優秀ですし、美貌でもある母の容姿をそっくり受け継ぎましたからそこいらの女優なんかよりも余程見目も良いですし。何の後ろ盾もない弱小貴族を母に持って、地方にある何の変哲もない学校を普通の成績で卒業して、この国にはありふれた色の髪と目しか持たない貴女とは違いますから」
 自分の色彩……ストロベリーブロンドの髪とワインレッドの瞳自体は気に入っているけれど、好奇の目に晒されるのは嫌だった。成金の娘と侮られたくなくて、同級生が遊んでいた時間を全て勉学に充てていたから姉みたいに心を許した学友なんていない。王子が私に優しいと言っても、それは物珍しい見た目をしている私を傷つけるのは得策ではないという事で、見える暴力には訴えない……というだけのものだ。精神的な暴力ならば、嫌というくらい受けてきた。
(……それでも、目の前のこの人があんな王子に殴られ蹴られ、理不尽に痛めつけられるくらいならば)
 自分が心身をすり減らした方が良い。心を凍らせて、微笑みを武器として顔に張り付けて、何でもないように笑いながら相手を手玉に取るのには慣れている。
「お話はそれだけですか? それでしたら、もう部屋に戻らせて頂きます」
「シャルロット!」
 必死な姉の声を背後に聞きながら、ドレスの裾を翻してこの場を辞した。涙がこぼれ落ちそうになるのを、ぐっと唇を噛み締める事で耐える。
(あんなに突き放しても、まだ気に掛けてくれている)
 こんな……こんな風に高慢で生意気で、姉を姉とも思わない言動をしている私の事を、それでもあんなに心配してくれた。
 大丈夫……大丈夫。私にとっては、それだけで十分だから。

  ***

「お前は私を愚弄したいのか!」
 その場を切り裂くような怒声が響き、足に衝撃が走る。立っていられなくて崩れ落ちるように座り込んでしまったが、助けようと近寄ってきてくれたのは実家から連れてきた侍女のシャンティだけだった。
「ご気分を害してしまいましたのならば、申し訳ありません。ですが」
「口答えをするな!」
 怒りに満ちた視線が、罵声が降り注ぐ。私を庇ってくれようとしているシャンティを制し、もう一撃もらった後で王子は取り巻きを連れてこの場を去っていった。
「シャルロット様、一旦お部屋に戻りましょう。何か冷やすものをお持ちします」
「……いいえ。王妃様への謁見許可をもらいに行ってきて」
「ですが、その足では!」
「これくらいの物的証拠があれば、流石の王妃様も動くでしょう。手当はそれからで良いわ」
「でも……そんな、真っ赤に腫れていては、歩くのにも差し障りが」
「あのまま王子の暴挙を野放しにしている方が危ないわ。愛人をたくさん作るのは勝手だけれど、愛人たちに良い様に金づるにされているのは王家の権威に関わる。その辺りの実情を伝えれば、王妃も動いて下さるでしょう」
 我が儘で、癇癪もちで、すぐに暴力を振るって、女癖が悪くて……王子の汚点を上げればきりがない。結婚式の日の夜だって、式を挙げた相手である私を放って愛人と遊び惚けていたのだ。それが、私への侮辱である以上に自身の権威を貶めているという事に、どうして気づかないのだろう。
 そんな身勝手な行動ばかりしていては、低俗な輩に舐められて好き勝手に搾取されるばかりだ。そんな状態であの人が王になれば、この国は破滅へと向かう事になる。
(……王子の破滅に巻き込まれれば、きっとその伴侶もただでは済まない)
 だからこそ、私が代わりに嫁ぐと言ったのだ。あの姉は、きっと夫を改心させようと尽力するのだろうけれど、間違いなく徒労に終わる。それどころか、利用されて罪を全部なすり付けられ、理不尽な重罪を課される可能性だってあるのだ。
 痛みを気合いで堪え王妃へ王子の遊蕩ぶりを報告した後で、ようやく自室へと帰ってきた。これで、しばらくは王妃が諫めて下さるだろう。
「……ねぇ、シャンティ」
「はい」
「今月も来たの?」
「ええ、届きましたよ。私にもねぎらいの一筆を下さって、スカーレット様は本当にお優しい方です」
「……そう。それは良かったわね」
「はい。過去にシャルロット様から頂いた分と一緒に大切にしますね。あぁ、シャルロット様宛のお手紙はこちらに……」
 にこにこと笑っているシャンティから手紙を受け取り、目を通していく。まともな味方がいないこの王宮で、彼女の笑顔にどれだけ救われた事だろう。
「何だかんだ、仲良くやっているみたいね」
「その様ですね。最初は突然の相手交代に町中が驚いていたらしいですけれど、持ち前のお優しい気性とひたむきさで打ち解けていったようです」
「へぇ……どちらも私には無いものだわ」
「まぁ、何を仰います。シャルロット様もお優しいですし、一生懸命な努力家ではありませんか」
「そう言ってくれるのは、貴女とあの人くらいのものよ……」
 それで十分だけれど。だって、褒められたいから頑張った訳ではなくて、周りに負けたくなかったから頑張っていたのだ。
 どうせ皆結果しか見ないのだから、その過程を褒めてくれる人なんていないと思っていた方が良い。誰もが神様に愛されている訳ではないのだ。大半の人間が、救いの手なんて差し伸べられなくて毎日を足掻いている。それが嫌で抜け出したいと言うのならば、自分で道を切り開いていくしか方法はない。いつかきっと、誰かが助けてくれる……なんて、そんな上手い話はないのだ。
 自分からこうしたい、してほしいと働きかけて、主張して、初めて目を向けてくれる人がいるかもしれない……世の中なんてそんなものだ。だからこそ、自分の事は自分で守って、自分の未来は自分の手で切り開いていくという意識でいないといけないと思っている。そうでなきゃ、守りたいものだって守れない。
「でも良かったわ。あの人が幸せならそれでいいの。やっぱり、アトラス伯に任せて良かった」
 お人よしじゃ王宮では生きていけない。あの心優しい姉が、身勝手な仕打ちでぼろぼろになっていく姿は見たくなかった。たとえ贅沢は出来ないとしても、平和に暮らしていて欲しかった。
「……シャルロット様」
 気遣わしげな声で、自分の名前が紡がれる。こういう時に、下手に励ますような人ではないから、彼女だけは連れてきたのだ。
「明日は来賓の相手だったわね。王子は当てにならないから、私がしっかりしないといけないわ」
「ドレスやアクセサリーは私が見繕っておきますから、今日はお早めに休んで下さいませ。一日中歩く事になりますから……少しでも休めて、酷くならない様に備えておきませんと」
 本当は予定を全てキャンセルしてほしいくらいですけれど、聞いては下さらないでしょうから。じとっとした目で見つめてくる優秀な侍女に、私の事を良く分かっているわねと言葉を掛ける。気遣いだけ受け取っておくわと続けた後で、足を冷やすための氷とタオルを追加で持ってくるよう言いつけた。

  ***

 相変わらずの無機質な天井に、思わず溜め息が漏れる。ドアの前に置かれている食事を受け取り、無言のまま食べていった。
(……いつまでここにいなければならないのだろう)
 恐れていた事態が起こってしまった。王子はとある高級娼婦に入れ上げて、自身の財では足りなくなったからと言って国庫に手を出した。それを……花街通いを怒った私に手切れ金を渡して来いと言って渡されたのだ、国庫から横領したのは私の方だと言って、私に罪を擦り付けて自分は無実と言い張っているのだ。
 とはいえ、私が今まで王子の花街通いを黙認していて、後継ぎ問題になったり刃傷沙汰になったりしなければ口を出す気がないという態度でいるのは周知の事実だ。そして、王子が花街に入り浸って遊んでいる姿は沢山の貴族が目撃している。俺は王子だ、花街に金を落とす事で娼婦たちを養ってやっているんだ……聞くに堪えない下卑た理由で、自身の金遣いを正当化しようとした。流石に、こればかりは許容できないと言って王も黙ってはおらず、王子が無罪になる事はないだろう。
 だけど、無実であるはずの私の罪は晴れなかった。花街通いは黙認していても、自身を蔑ろにされて面白くなかったんだろうと嗤う輩が半分、王子の振る舞いが王家の権威に関わると危惧しての事だろうという同情的な意見が半分。だけど、皆、私も実行犯なんだろうという疑いは向けたままだった。シャンティまで疑われては堪らないと思ったので、王子の放蕩が目に余るようになったタイミングで暇を出したのだけれど、その後の調査ぶりを見ている限り正解だったと言えるだろう。
(……あれだけ頑張ったのに、こんな悪手しか選べないなんて)
 自分の愚かしさに腹が立つ。私がもっと才知に溢れる人間だったなら。もっと賢くて、策略に長けていて、立ち回りや協力の取り付けが上手かったなら。大事な人を遠ざけ引き離す事で守るなんて、そんな真似しなくて済んだのに。
 努力はしてきた。学内や国内の試験とか、貴族の嗜みとしての美術品や芸術への知識とか、舞踏会でのダンスとか。他にも、貴族の令嬢なら知っていて当たり前と言われるしきたりやファッション、取引の仕方や帝王学、使えそうな知識は手あたり次第何もかも。だけど、きっと、それだけじゃ足りなかったのだ。
「……ひとりは、さみしいわね」
 優しく微笑んでくれた姉は他家の妻となった、一番傍にいてくれた腹心の侍女は自分から手離した。それなのに、今更、手を差し伸べてほしいなんて……助けてほしいなんて、言える資格はないのだ。
 ……だけど。
 ……それでも。
「だれか、たすけて……」
 こんな場所にいたままではいたくない。まだまだ知りたい事や、やりたい事や、行ってみたい場所が、いっぱいあるのだ。外に出て、色んな町へ行って、沢山の事に出会いたいのだ。だから、どうか。
 涙が後から後から溢れてきて、頬と枕を濡らしていく。泣いたって何も変わらないのは分かっているけれど。だけど、今だけは、一人で牢獄にいる今だけは。
 誰も見ていないから、泣いてもいいだろうか。

  ***

『しゃんとしなさい。後妻の娘と、所詮商家の娘と侮られてはなりません』
『貴女の方が優秀なのは、誰の目から見ても明らかです。期待されているのは貴女の方なのよ』
『よくやりました。けれど、まだまだ向上の余地はあります。努力なさい……あんな女の娘に負けてはなりません』
 小さい頃から、そんな言葉をずっと母親に言い聞かされてきた。前妻である姉の母が亡くなった後で、後妻としてこの家に嫁いできて……事あるごとに、貴族の令嬢の手本と言われていた彼女と比較されて。裕福な商家の一人娘として甘やかされ大事にされてきた母にとって、自分よりも優れていた存在と常に比べられてしまうのはストレスだったのだろう。
『近寄らないで頂戴! 私の子供はシャルロットとサイラスだけよ!』
 前妻を目の敵にしていた母にとっては、その娘である姉も敵だった。当時の姉だってまだ十に満たなかったのだ。血は繋がってなくとも母ではあるのだ。きっと、寂しい時や悲しい時は甘えたかっただろうに。
『……シャルロット、シャルロット』
『お母さまが探していたわ。行ってあげて』
 同母の弟であるサイラスとかくれんぼをしていた時に声をかけられたのが、初めて姉と会話した瞬間だった。こちらに向けられている二つのサファイアブルーが、先日初めて見た海みたいできれいだと思ったのを覚えている。
『シャルロットはとても頑張っていると思うわよ。この前のテストも満点だったのでしょう? 十回も連続で満点なんて、なかなか出来る事ではないもの』
『私の事そう呼んでくれるの? そんな、嫌な訳ないじゃない……嬉しいに決まっているわ!』
 初めて話したのが庭にある薔薇園の中だったから、姉とは何となくそこで会話するようになった。その内サイラスも加わるようになって、三人一緒に過ごす事が増えたけれど。こっそりとお菓子やお茶を持ち込んでの秘密のティータイムは、毎日必死だった私の心を満たして慰めてくれた。
『何をしているの!? この女には近づくなと、あれ程言ったじゃない!』
 けれど、幸せな時間は長く続かなかった。あの母の事だから、きっと私やサイラスが姉と一緒にいたら怒るだろうと思って、細心の注意を払っていたのに。初めて自分の意見を元に仕立ててもらったドレスが嬉しくて、姉に見てほしくて、屋敷内の廊下を歩いていた姉に声をかけてしまったのだ。一瞬だけ姉は戸惑っていたけれど、すぐにいつもの優しい笑顔になって、素敵なドレスだ、よく似合っていると褒めてくれて頭を撫でてくれた。そんな瞬間を、見つけられたのだ。
『貴女が私の娘を誑かしたのね! この子に近寄るんじゃないわよ!』
 目の前で、母の平手が姉を襲った。ばしん、ばしんと嫌な音が響いて、ごめんなさい、ごめんなさいと必死に謝る姉の悲痛な叫び声がこだまする。姉の頬が腫れ上がっても止めないで、このままでは姉が死んでしまうと思って恐ろしくて、必死に母の腕に縋って止めようとした。
『やめて、ちがうの。私から話しかけたの、姉さまは何も悪くないの』
『あっ……姉と呼ばせるなんて、烏滸がましいにも程がある! 貴族の母親を持つからって調子に乗らないで!』
『おかあさま、やめて、やめて……!!』
 それ以来、薔薇園には行かなくなった。私のせいで無実の姉が罰を受けるなんて理不尽があってはならない、姉をまたあんな暴力に晒すくらいならば、私の方から離れればいい……それしか、姉を守る方法が浮かばなかった。
(……そう考えると、私はあの時から成長していないのね)
 そんな考えが脳裏に浮かんだ瞬間、一気に意識が浮上した。どうやら、泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。相変わらず代わり映えしない天井を見つめながら、よいしょっと体を起こす。ドアの前にはまだ食事がなかったので、まだ起きるには早い時間だったらしい。
 とは言え、二度寝するには遅い時間だろう。持ち込む事を許された本が数冊あるので、それらの本たちを読み返すか……そう考えて、机に座って本を手に取った、その瞬間。
「シャルロット!? どこにいるの!?」
 ここにいる筈のない人の声が、私の名前を呼んだ。手から滑り落ちていった本が、ごとんと音を立てる。
「お待ち下さい! 許可もなく勝手に入ってはなりません!」
「勝手なのはそちらの方でしょう!? あの王子の発言だけで、物理的証拠もないのに実行犯と断じて、こんな場所にあの子を閉じ込めるなんて!」
「貴女には何の関係もないでしょう! これ以上勝手な事をすると貴女も罪に問われますよ!」
「罪で脅して言う事を聞かせようなんて、法治国家にあるまじき言動だわ! そもそも、関係なら大ありよ! 私は、あの子の姉なんだから!」
 恋しかった声が、近づいてくる。足音が前よりも軽やかなのは、重いドレスに慣れたからだろうか。以前は、豪奢なドレスに慣れていなくてよく躓いていたのに。
「シャルロット!」
 ずっと閉ざされていたドアが、勢いよく開いた。凛として真っすぐなサファイアブルーが私に向けられて、ココアブラウンの髪が揺れている。
 数か月ぶりに見た姉の姿は、後光が差しているかのように美しかった。

  ***

「ど、う、して……ここ、に」
 助けに来てくれた。高慢な態度を取ってばかりで、心配を踏みにじって、父や母に冷遇されていたこの人をただ見ているしか出来なかったのに。見ているだけで助けられなくて、少しでも気にかけるとあの人が母から折檻されるから、突き放して守った気になって。それが、一番の悪手だと分かっていた、のに。
「貴女が無実の罪で捕まったと聞いたから! あの方にも手を貸して頂いて、助けに来たの!」
「誰がそんな事を……? 皆、みんな、口を開けばあいつも犯罪者だって言って、誰も信じて、くれな」
「シャンティから聞いたわ」
「……シャンティ」
 脳裏に、スカイブルーの瞳を細めて微笑む腹心の顔が浮かんだ。貴女は私に尽くしてくれていた、こんな事に巻き込んで人生を棒に振る事はない。そう言って、本当は側にいてほしかったのに強がって、それが彼女の幸せに繋がると信じて、突き放した幼馴染。
「シャルロット様に暇を出された、あの方は全てを一人で背負うつもりだ、取り返しの付かない事になる前に助けてほしいって、私と伯爵に」
「は、伯爵まで関わっているの!? 下手をしたら伯爵家自体が危うくなるのよ!?」
「大丈夫よ。あの方は、王立大学の法学部を出た方だから。貴女が冤罪で捕まらないように尽力して下さってるわ」
「……伯爵には何のメリットもないのに?」
「メリットの問題じゃないのよ。伯爵だって、義理とは言え妹が危機に瀕しているなら助けるものだろうって、言って下さったし」
「……」
 それは妻の前で良い恰好したかったからだろうと思うのだけれど。今の伯爵が妻である姉にべた惚れで、事ある毎に抱き寄せたりスキンシップを図ろうとしたりしているという話は王宮にまで知れ渡っている。あの伯爵が変わったものだと驚いている人も多かった。
「さ、早く出ましょう。こんな暖房も無いところにいたら冷えちゃうわ」
「え? で、でも……」
「大丈夫だから。偶には姉らしい事させて頂戴」
「たま……には」
「ええ。私は姉なのに、ずっと貴女に助けられてばかりだったから」
 そんな事ない。私がずっとやってきたのは、貴女を蔑むような事を言って馬鹿にして、挨拶を無視して、目すら合わさずに突き放していた事だけなのに。
「違う、ちがう……助けてくれたのは、貴女の方じゃない」
「今はそうだけど、屋敷にいた頃は」
「違う! 屋敷にいた頃だって、いつも、姉さまは、私を」
 助けてくれていた。気にかけてくれていた。表立っては出来なかっただろうしこっちも受け取らなかったけど、贈り物や手紙をくれた。私の方が、いっぱいいっぱいもらっていた。
 だから、姉の身代わりになろうと思ったのだ。この姉をこんなところに嫁がせてはいけないと、恩に報いるためにはこれが一番だと、そう思ったから。
「……ふふ」
「何が可笑しいのよ!」
「数年ぶりにそう呼んで貰えて嬉しいだけよ。あら……また貴女に幸せにしてもらったわね」
「……そんな事で?」
「私にとっては大切な事よ。お義母さまにはともかくお父さまにまで冷たく当たられて、使用人たちにも遠巻きにされて、私を私として……家族だと言って接していてくれていたのは、貴女とサイラスだけなの」
 姉の体温が冷えた体に触れた。心地よい温度に、労わるような温もりに、ぼろぼろと涙が零れてくる。
「今まで頑張ったわね。後は、私たちに任せて、ゆっくり体と心を休めてね。私も伯爵も、貴女の味方だから」
 ぼんやりとしている視界の中で、サファイアブルーが美しく揺らめいた。後から後から流れてくる涙が、頬を伝ってドレスに染みを作っていく。
「……姉さま」
「ええ」
「ねえさま」
「そうよ」
「こわかった、こわかったの。いつか、裁判所まで連れていかれて、問答無用で有罪になって、殺されるかもしれないって思って、怖かったの」
「シャルロット」
「助けてほしかったけど、誰も助けてくれなかった。私から手を離したんだから、助けてって言っちゃいけないって、思ってた」
「そう、だったの」
「だからね、まさか、姉さまが来てくれるなんて思ってなかった。一番来られないだろうって、来るはずないって、思ってた」
 きつく当たっていたのだから。自分や夫の立場が危うくなるかもしれないのに、それを押してでも助けようとは思われていないはずだ、と。逆に、伯爵の名誉に関わるから助けようと思ったとしても、遠方だから本人が来る事はないだろうと。私は、本気でそう思っていたのだ。
「でも来てくれた。私を、こんなとこまで、助けに来てくれた」
「当たり前じゃない。貴女は、私の可愛い妹なのだもの」
 それに、貴女はずっとずっとひたむきに、一生懸命努力していたから。ドレスがぐしょぐしょになるのも気にせずに、スカーレット姉さまはそう言って私の事を抱きしめてくれていた。

  【完】

 

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