人魚と少女の恋語り

「だいじょうぶ?」
 照り付ける太陽が陰ったと思ったら、人間の少女が僕の顔を覗き込んでいた。流れるような黒い髪に黒真珠のような瞳。しばし見惚れたその後で、目の前の相手は警戒すべき人間だと我に返る。
「俺に近づくな!」
「海に返すだけだから」
 その言葉通り、彼女は俺の背中を押して海に入れてくれた。水分を取り戻した八本の足が、ゆらゆらと海中で揺れている。
「……礼なんて言わないぞ」
「いいよ」
「変わり者だな。何の得にもならないのに」
「助けられたって嬉しいのは、得だよ」
 少女はそう言って、屈託なく笑う。
 その笑顔は、どんな太陽よりも眩しかった。

  ***

「久しぶりだね」
 常と変わらぬ笑顔に迎えられ、そわそわと浮き立つような気分になる。緩んできた口元をきゅっと結び、足を伸ばして座っている彼女の隣に腰かけた。
「普段は海底にいるからな」
「蛸の人魚だもんね。私、泳ぐの苦手だから憧れちゃう」
 呟く有紗の足に海水が掛かって、きらきらと光る。着物の裾から覗く白い肌にどきりと心臓が跳ねて、慌てて目を逸らした。
「……有紗が望むなら、一緒に海を泳いでも良いぞ」
「本当に?」
「勿論だ」
「……じゃあ、その時は手紙を流してお願いするわ」
「手紙を流す?」
「瓶に入れて封をして、海に。そうしたら、海底にいる章にも届くでしょ?」
「……ああ、分かった」
 だだっ広い海の中で、小さい瓶なんてそうそう見つからないとは思うのだけれども。
 君の願いだと言うのならば、必ず。

  ***

 いつも通り海底で過ごしていたら、一本の小瓶が沈んできた。中身が濡れないように栓がしてあり、中に小石と手紙が入っている。
『たすけて』
 今までに見た事ないくらい乱れた必死の願い。荒れている海中を懸命に浮上していくと、小舟に乗った有紗とそれを取り巻く小舟が複数確認出来た。
 有紗の周りにいた船を片っ端からひっくり返し、彼女の元へと向かう。普段会う時よりもかなり派手な着物を着ていた彼女は、泣きながら俺の名を呼んだ。
「もう大丈夫だ。行こう」
「章、章」
「海の中なら負けやしない……それにしても、こんな小舟で櫂を持っていないなんて無茶だろ」
「だって……」
「だって?」
「章なら必ず手紙を見つけて、来てくれるって信じてたから」
 泣き笑いの表情を浮かべた有紗を海に連れ込み、力の限り抱き締めた。