(弦次さまも、私を、好き)
その事実を告げられてから、もう数日は経った。それなのに、今もなお動揺と幸福と衝撃が隠せない。妙に意識してしまって視線が合うだけで顔が熱くなるし、指先が触れたら心臓がひっくり返りそうになるし、ふとした瞬間に名前を呼ばれたら耳がおかしくなりそうになるし。ふわふわと浮いた心地、というのはまさにこんな感じなのだろうか。
「桐鈴」
「ひゃあっ!?」
「すまない、何か考え事でもしていたか?」
「そ、そういう訳では、ありませんけれど……」
全力疾走した後みたいに息を切らしながら、途切れ途切れの返事をする。視線を合わせるために立ち上がろうとしたら、大丈夫だと言うように片手で制された。
「今見たら風呂や調理用の薪が少なくなっていたから、山で取ってくるな」
「わ、分かりました」
「ついでに次の琴の材料になりそうな木も見てくるから、帰りは夕方になると思う」
「はい。ビワも連れて行かれますか?」
「そのつもりだ。桐鈴はどこかに出掛ける予定があるか?」
「洗濯の残りをするために裏の川へ行くくらいなので、弦次さまが連れて行って下さって大丈夫です」
「分かった。それじゃあ行ってくるな」
「……行ってらっしゃいませ」
そう告げて彼の背中を見送った。玄関が開く音がして、ビワの嬉しそうな鳴き声も聞こえてくる。一人と一匹の声が聞こえなくなった頃合いで、はああと大きな溜め息を付きながら床に寝転がった。
(私、どうやって弦次さまと話をしていたっけ……)
意識しすぎて、今まで通りが分からなくなってしまった。こんな調子では余計な心配をかけてしまうので何とかしたいのだが、まるでいい案が浮かばない。
(……両想いが確定したのだから、応えても良いのでは?)
そんな事も思うけれど、あと一歩を踏み出す勇気が出ない。だって、ここで彼の想いを受けて私も好きだと伝えれば、間違いなく数十年は天界に帰れないのだ。結果的にそうなったとしても、後悔はしないだろうが……その覚悟が今の時点できちんとあるかと言われると、言葉に詰まってしまう。だからこそ、弦次さまは急いで答えを出す必要は無いと言って下さったのだろう。
『初めに会った時にここが一番安全だろうと言った手前、俺の感情は伝えない方がいいだろうと思っていたんだ。だけど、まぁ、人間なんて現金なものだ。褒めたり贈り物をしたりしたら、もしかして心を傾けてくれるんじゃないか、なんて……』
そんな真実を告げられて、弦次さまを好きになった私はものの見事に彼の術中に嵌っていたようなものだったと判明した訳だが。そんな強かさにすら喜びを隠し切れないのだから、私も大概彼に骨抜きになっている。自分をよく見せるために、自分に興味を引いてもらえるように、意識してもらえるように……そのために策を弄すのは、地上でも天界でも何ら変わらない習慣という事なのだろう。
床に転がったままもだもだと考えていると、雲が切れて日が差し込んだ。洗濯物が少しだけ残っていたから今のうちにやってしまおうかと思い、腹筋に力を入れてゆっくりと起き上がる。
(……とりあえず、会話は元通り出来るように切り替えないと)
何度目か分からない覚悟を心に決めて、今度こそと思いながら洗濯物を手持ち籠に詰め始めた。
***
目の前にあるのは、色とりどりの大量の着物。ゆうに三十は超えているのでまさに山盛りになっているけれど、怯んでいる暇はない。
(すっかり涼しくなってきたもの。丁度いい機会だわ)
着物の数は多いが衣紋掛けの数も多いし、部屋も広い。仙術を合間合間に使えば、今日中に終えられるだろう。今日やるとは言っていないが、近いうちにするとは伝えているから大丈夫な筈だ。
(……それにしても、凄い数ね)
これだけの数の着物を彼が持っていたのは、お父さまに頼まれてお母さまの遺品をほぼ全て持ってきたからなのだという。自分のところにあったら他の親族達が勝手に持っていってしまうかもしれないから保管していてほしい、と言われたのだとか。
一杯お茶を飲んで気合いを入れてから、準備していた着物掛けに次々と着物を掛けていく。大きな作業は仙術を使って行い、細かい作業は一つ一つ私の手でやった。年に一度しか虫干ししていなかった割には着物の状態が良いので、干す時間は一刻ほどで大丈夫だろう。
第一陣が終わったので、仙術を使って衣紋掛けから順に外し次々に畳んでいく。第二陣を干した後で、畳んだ第一陣を仕舞うために蔵にやってきた。元々入っていた桐の箱へ、丁寧に戻して蓋をする。
「……あら? こっちにも箱がある?」
先ほどは気づかなかったが、部屋の隅の方にも同じような桐箱が置いてあった。他の物よりも少し暗めの色の桐を使った箱だから、気づかなかったのだろう。こちらの方にも着物が入っていたら干しておかないといけないので、よいしょと気合いを入れて蓋を開け、中を確認していく。
「こっちは羽織や小物なのね……羽織は一緒に干した方が良いかしら……」
そう独り言ちながら、次々に中身を出して確認していった。他に入っていたのは裳や唐衣、袴や帯飾り、草履や下駄が中心だったので、袴と唐衣、裳だけ選り分けて羽織と一緒に纏める。草履や下駄は後で纏めて手入れしよう。
「風呂敷?」
最後まで底に残っていたのは、浅葱に染められた風呂敷だった。四つ結びになっているので、何か入っているのだろうか。持ち上げた感じが柔らかくて軽いので、こちらにも何か布物が入っているのかもしれない。そう思って、結び目を解いて中身を確認した瞬間、思わず息を飲んだ。
「……何で、これが」
零れた声は震えていた。体中から熱と血が引いていくようで、汚れるのも気にせずぺたりと座り込む。自分の見たものが信じられないなんて、初めてだ。
(どうして……どうして!)
何故、ここにあるのだ。どうして、丁寧に風呂敷に包まれて、桐箱の底に、隠すように入れられていたのだ。
風呂敷の中から現れたのは、失くした筈の天の衣だった。
***
(い……一旦落ち着きましょう。そうだわ、先生だって、困った時はまず深呼吸をしなさいって、おっしゃってたし)
息苦しい感じがしたのは、衝撃の余り呼吸が浅くなっていたからだろう。なので、何回か意識して深い呼吸を繰り返すと、息切れが少しずつ落ち着いてきた。
風呂敷に丁寧に包まれて保管されていた、私の天の衣。最悪誰かに拾われて勝手に使われたり、単なる布と思われて小物の材料にでもされていたりしたのでは、と思っていたが、それに関しては杞憂だったようだ。
(……この家の蔵の中にあったんだもの。誰がやった、なんて答えは分かりきってる)
でも、それならどうして教えてくれなかったのだ。彼は、私が一生懸命探していたのを知っていたのに。知っていて、見つかるようにと心を砕いて下さっていたのに。
(箱の底の方に入れていたから忘れてしまった? でも、それならそもそもどうして彼は箱の底に閉まったのだろう)
本当に偶然拾ったなら、すぐに声を掛けてくれる筈だ。汚れていたから洗った後で渡そう……と思ったのだとしても、洗った後にわざわざ風呂敷に入れて底の方へ仕舞い込むなんてしないはず。
(でも、それだと……弦次さまは……)
意図的に風呂敷に包み、意図的に底に仕舞った事になる。だけど、どうして。どうして、そんな真似を?
「帰ったぞ」
入口から声が聞こえた。元気に吠えるビワの声も聞こえてくる。桐鈴と彼が呼ぶ声が近づいてきて、焦りに任せて衣を握り締める。
「桐鈴、ここにいた、のか……!?」
彼の声が響いて、反射的に振り向いてしまった。勿論、私の手には天の衣が握られたままだ。
今にも泣きだしそうな私と、私の手に握られた天の衣を見た弦次さまは、その綺麗な青をこれでもかと見開いたまま私を見つめていた。