「お初にお目に掛かります。エスメラルダ王国の公爵家、ランウェイ公爵の次女であるマリガーネットと申します」
道中習った月晶帝国の言葉で、目の前の皇帝陛下に挨拶をする。彼の隣に座っている青い髪に水色の瞳をしている女性が皇后さまだろうか。
「遠いところからよく参られた。歓迎しよう」
「ありがとうございます」
「わたくしが皇后で蒼玉の母である藍玉です。これから宜しくお願い致しますね」
「よろしくお願い致します」
無事に挨拶を終え、玉座を後にする。部屋を出た途端ずるずると座り込んでしまったので、一緒にいた蒼玉様を心配させてしまった。
「済みません。やはり緊張しまして」
「無理もありません。長旅の疲れもあるでしょうし、他国の皇帝なんてそうそう会うものでもないでしょう」
「でも、悪い人ではなさそうで良かったです」
正直に告げると、蒼玉様は一瞬だけ口を結んだ後にそうですねと答えて下さった。まだ挨拶しただけの私とずっと一緒にいる蒼玉様とでは、相手に抱く感情も違うだろうからそういうものだろう。
「お手をどうぞ」
「え?」
「秋も過ぎた頃合いですからね。冷たい床の上に座ったままだと体を冷やしてしまうかもしれません」
「ああ、お気遣いありがとうございます」
お礼を言って、ありがたく手を掴ませてもらった。その手に力を込めて立ち上がり、ドレスの皺を整える。先導していたメイド……この国では女官と言うのか、女官がこれから生活する部屋へ案内してくれると言うので、蒼玉様と共に向かう事にした。
「……そいつが、あんたが連れてきた女か」
道中を進んでいると、いきなり不躾な言葉が聞こえてきた。話しかけてきたのは、赤い髪に赤い目をした青年だ。蒼玉様に似ている気がしなくもないが、顔つきは彼よりもややきつめの雰囲気である。
「態度を改めろ。お前の義姉になる女性だぞ」
「そんなの知ったこっちゃ無いね」
「あの、こちらの方は?」
一触即発の空気が少しだけ怖くなったので、場の雰囲気を変えたくて傍らの蒼玉様に尋ねてみた。しかし、蒼玉様が口を開くよりも早く、赤い青年の方が口を開く。
「俺は第二皇子の紅玉だ。お前の旦那は教えてくれなかったのか?」
「同母の弟と妹がいる話はお聞きしましたが……」
「へえ。母が違うなら弟じゃないって事か」
「両親どちらかが一緒なら兄弟姉妹ですよ。私の実家もそうでしたから」
「でも、そこの皇太子サマは教えてくれなかったんだろ。つまり、あんたはそうでなくともそっちの皇太子サマは」
「紅玉」
流石にこれ以上は看過出来ないと思われたのか、蒼玉様が口を開かれた。じろりと紅玉様を睨むと、紅玉様も負けじと睨み返す。
「いちいち突っかかるな。人の言葉を曲解して揚げ足を取るなんて、無礼にも程がある」
「……ふん」
紅玉様はそれだけ答えて、舌打ちしながらこの場を去っていった。入れ替わるようにして、今度はお姉さまみたいな赤い長髪の綺麗な女性が現れる。
「今、紅玉がこちらにいませんでしたか?」
「先程までいましたよ。叱ったらへそを曲げてどこかにいってしまいましたが」
「そうですか。それは失礼致しました……そちらが? 例の?」
綺麗な女性と蒼玉様がお話されているのを何となく面白くない気分で眺めていたら、いきなり話がこちらに飛んできて文字通り肩が跳ねてしまった。しかし、蒼玉様も赤い美女も特に咎める事無く話が進んでいく。
「お初にお目に掛かります。月晶帝国に嫁すために参りました、エスメラルダ王国の公爵家次女であるマリガーネットです」
「そう。私は陛下の側妃の一人である珊瑚です。先程の紅玉は、私の息子」
「そうだったのですね。道理で、同じ髪色と瞳の色をしてらっしゃると」
「気に障ったのならば御免なさいね」
「何がですか? 特に気になった事はございませんが」
「……赤い髪と目なんて、気味が悪いでしょう?」
「そんな事ありません! とても綺麗で私は好きです!」
お姉さまを崇拝している身としては、赤い髪は好ましい要素の一つだ。なので、拳を握りながら力強く答えたのだが、目の前の赤い美女もとい珊瑚様は呆けたようにぱちぱちと赤い瞳を瞬かせている。
「貴女の国では、赤は歓迎される色なのかしら」
「……申し訳ありませんが、髪色としてはあまり好まれる色ではありません」
「そうなの? それなのに貴女は好きだと言えるのね」
「私が尊敬して止まない姉の髪も赤いのです。なので、私にとっては素敵な色です」
「貴女のお姉さん……ああ、現エスメラルダ王妃ね」
事も無げに言われて、驚きつつ何度も頷いた。知ってらっしゃったのか。
「はい。ランウェイ公爵家の長女として産まれて、幼少期から現王の婚約者に内定しておりましたが……国内では珍しい髪と目の色を理由に冷遇されておりました」
「そうなのね。どこの国も、赤色は苦手と見える」
「……」
そうだとも、そんな事はないとも言えずに押し黙る。私は好きだけれど周りの冷たさもよく知っているから、軽薄な事は言えなかった。
「紅玉には私からも言っておきましょう。それでは失礼致しますね」
「お時間を頂きありがとうございました」
蒼玉様がそう言って頭を下げられたので、私も一緒にお辞儀をする。珊瑚様は一瞬だけ足を止めてこちらを振り向いた後、紅玉様が向かった方向へと向かっていった。
「珊瑚妃はああ言っていたが」
「はい?」
「実際は、珊瑚妃が皇帝の一番のお気に入りなんですよ」
「……そうなのですか?」
「容姿端麗で博識、思慮深く冷静で公平と言われている彼女は皇帝のみならず国民からの支持も厚いですね。子が出来にくい体質なのか産んでいるのは紅玉だけですが、皇帝の夜渡りが一番多いのは彼女です」
「……それは」
蒼玉様にとってはどうなのだろう。だって、父親の一番は自分の母親じゃないという事になる訳だろう。悲しいとか、悔しいとか、面白くないとか恨めしいとか……思ったりはしないのだろうか。
「マリガーネット様?」
「すみません、大丈夫です」
急に黙ってしまったから心配させてしまったらしい。そもそも今は案内の途中だったのだし、いつまでもここにいる訳にはいかないだろう。頭を振って疑問を追い出し、歩き始めた女官の後を追った。
「……そんなに心配されなくても、俺は貴女しか娶りませんので大丈夫ですよ」
「え?」
予想外の言葉が聞こえてきたので、素っ頓狂な声をあげて足を止めてしまった。一方の蒼玉様は、驚いている私に驚いてらっしゃるらしい。
「え、あ……俺が側妃を囲って自分が蔑ろにされたらどうしようか、と心配なさったのかと思ったのですけど……違いましたか?」
「……皇帝陛下の一番が珊瑚様なら、藍玉様を母とする貴方は嫌ではないのかなと、そういう事を考えていました」
「…………それは失礼しました。忘れて下さい」
耳まで真っ赤になった蒼玉様が、顔を隠すように俯いた。ああ、でも、さっき珊瑚様と彼が話していた時に感じたモヤモヤが晴れていったので、彼の気遣いはありがたい。
「いいえ、私を慮って下さってありがとうございます。嬉しいです」
「…………そうですか」
それなら良かったです、とおっしゃった蒼玉様は、やっぱりとても可愛かった。