拝啓 大嫌いなあなたへ

拝啓 

 木枯らしが吹き始めて、めっきり冷え込んで参りました。こんな時期に、あんな事を言ってくるなんて。本当、あなたという人は小憎らしい事この上ありませんね。

 さて、せっかく初めてあなたへの筆を執ったのですから、ただお返事を書くだけでは面白くありません。そうですね……昔話でもしましょうか。

 あなたと逢ったのは、夏の暑さが落ち着いてきた頃合でした。おせっかい、もとい気遣い屋の互いの友人に連れられて飲食店で飲み会をした、あの日です。結局、友人達だけで盛り上がってて私達は置いてきぼりでしたから、二人でとりとめのない話をしてましたね。とはいえ、あなたの返答はあぁ、とかうん、とかそんな言葉ばっかりで、私は笑顔を取り繕っていましたが、内心では『もうちょっと真面目に話を聞け!!』と、かなり怒り心頭でした。あなたが知っている以上に、その時の私はあなたが大嫌いと思いました。今でも、その辺に関しては気になる事があるから、気を付けてください。

 そんな感じで、まぁ、出逢いが出逢いでしたから、これは友人達の気遣いをふいにしてしまうのだろうと、少しは申し訳なく思っていたのです。だから、一週間後、あなたから写真展への同行願いがスマホに送られてきた時は、驚きすぎてカップ麺の食べ頃を逃してしまいました。伸び切ったラーメンをすする羽目になった事、今でもよぅく覚えております。旅先で買って、食べるのをずっと楽しみにしていたカップ麺だったのに、と部屋で一人恨んでました。お詫びとして、今度美味しいラーメン屋さんに連れて行ってください。

 それ以来、一週間に一回は連絡が来て、月に一回は電話が来て、二か月に一辺はどこぞに連れ出されてたから。初めて私の方から電話した時は、驚いたあなたが机の上のコップを倒して大惨事になったと聞いていたから。だから、一年経つ頃には、これは、もしや、と一人そわそわしていました。次の連絡の時こそ、何かあるだろうか。次に会う時こそ、何か変わるだろうか、と、毎回、毎回、思っていた。

 だけど、あなたはじれったいほど何も言ってこなかったし、してこなかった。私は生来短気な性分なものですから、そわそわがいらいらに変わってしまうのに、そう時間はかかりませんでした。だから、クリスマスのあの日に、あなたが今度こそ何も言わなければ、こちらからけしかけてやろうと思って、色々下準備をしてあの日に臨みました。ええ、色々時間をかけて考えて、練習して、根回しもして仕込んでいたんです。あなたが、欲しかった言葉をくれたから、全部おじゃんになったけど。あの時のあなたの表情が、いつもと違ってとてもとても一生懸命だったから、一生懸命で、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですけど、可愛いなって思っちゃったから。私の努力を全部無駄にした事は、あの時の顔に免じて許してあげますね。

 それからさらに二年は過ぎました。また、私はそわそわするようになりました。だって、どっちもアラサーに近づいてきましたから。周りだって、私たちを引き合わせた友人達だって、みんな先にその境地にいってしまったから、だから、きっと、もうそろそろ私たちも、なんて、期待していたのです。

 なのに、あなたは、私たちの出逢った日も、クリスマスも、私の誕生日も全部いつも通りだった。いえ、きちんと食事に連れていってくれたりプレゼントくれてたりしたから、そこは素直に嬉しかったですよ? でも、いつも通りであればあるほど、あなたは、この先を望んでいないのかって、このままでいいのかって、不安になって、悲しくなって。その後は、想像がつくと思うのですけど、まぁ、そんな感情は何も変わらないあなたへの怒りに変わってしまいましたね。勝手に期待して勝手に怒って、自分でもどうなんだろうって流石に思ったけど、結構わがままな事言ってきたから、流石のあなたも、もう……って、少しばかり弱気にもなったけど。

 だから、あの日。木枯らしが吹き始めて、寒い寒いって言ってた日。私が初めてあなたに電話してから、ちょうど三年経ったあの日。あなたからのあの申し出が、私にとってどんなに嬉しかったか。どんなに、幸せだったか。きっと、もう想像に難くないと思います。

 私も、寒かろうが暑かろうが、あなたと一緒にいたいって、心から思います。

 私だって、あなたからたくさんの幸せを、喜びをもらったの。

 あなたが私を幸せにしてくれるというのなら、あなたの事は私が幸せにするから。

 だから、あなたの申し出をお受けする事にしました。

 私を、あなたのお嫁さんにしてください。

                                   かしこ

                  令和元年 十一月某日 あなたの恋人より

かつて大嫌いだったあなたへ

 

   *****

 

「沙耶ちゃん、お父さんへの手紙書き終わった?」
「うん!」
 得意げに便箋を手渡してきた娘の頭を撫でて、自分の封筒に纏めて入れる。しっかりと封をして、表に切手を貼ったら準備は終わりだ。
「今回は何を書いたの?」
「この前のリレーで一番になったこと!」
「ああ、沙耶ちゃんすいすい皆を抜かしてたもんねぇ」
 お母さんもね、沙耶ちゃんが嬉しそうで嬉しかったよと返すと、娘はさらに笑みを深めた。足が速いのは、あの人からの遺伝なのだろう。万年亀太郎と言われていた自分に似てなくてよかった、本当に。
「次はお父さん、いつ帰ってくるの? また三つ先?」
「ううん、来月帰ってくるって。年末年始は一緒に過ごしたいって、言ってくれたから」
「もうすぐだね!」
「うん、もうすぐね」
 そう言って、親子でふふっと笑い合う。明日幼稚園に行く時に出そうね、と約束して、夕飯の準備を始めるから机の上を片付けるように告げる。その後で台所に行って、夕飯の最終準備を始めた。
「……また、あの人の驚く顔が見られるのかしら」
 結婚してから二年くらいで彼は単身赴任する事になってしまって、離れて過ごす生活になった。同じ国内とはいえ少々交通事情の悪いところだったから、三か月ごとにしか帰ってこられなくなってしまったので……普段のメッセージや電話とはまた別に、毎月互いに手紙を書いて送ろうと決めたのだ。
「いずれは、あなたも一緒に手紙を送ろうね」
 まだまだ真っ平なお腹を撫でながら、そっと呟いた。彼を驚かせたくて、手紙にはあえて書かなかった、とびっきりの幸せなニュース。知った時の彼の顔が、驚きと喜びで彩られるのであろうその日が楽しみだ。
「ねぇ、きっと。大嫌いは大好きの始まりだったんだね……あくまで私たちは、だけど」
 何とはなしに、そう呟いて。自分を呼んでいる娘に応えるべく、思考を打ち切って居間へと戻った。