「今日は楽しかった!」
傍らを歩く恋人に向かって、笑顔でそう伝える。前々から気になっていたレストランに行ったのだけれども、思っていた以上に美味しかったし雰囲気も良かった。
「喜んでもらえたなら良かった……あのさ」
「うん?」
「来週末は空いてる?」
「来週末? 土日どっち?」
「土曜日なんだけど。映画のペアチケットが当たってさ、前に見たいって言ってたやつ」
「……」
日曜日だったらまだ行けたのだが。土曜日は、どうしても、どうしても外せない用事がある。いや、用事なんて言葉ではとても言い表せないような、超重要最優先事項だ。
「ごめん。その日は前々から決まってた用事があって」
とはいえ用事の内容を話すのは憚られたので、ひとまずそう言って濁しておく。偏見があるような子ではないと思うけれど、単純に恥ずかしいのだ。
「……見たいって言ってたから応募したのに」
「それはありがたいけど、それなら先にこちらの都合を確認してほしかったわ」
「だって土日は誘ったらいつも来てくれたじゃん」
「たまたま用事が何も無かったからよ。何もなければ当然行くわ」
「恋人からの誘いを断ってまで行きたい用事って何」
「そういう言い方をしないでくれる? 先約を優先するのは当たり前じゃない。貴方だって、私がこの前遊びに行こうって言ったら友達と約束してるからって言って断ったでしょ。それと同じよ」
「……」
大人びてはいるけど、彼はまだ大学生だ。加えて兄姉を持つ三番目で目一杯甘やかされて育ったというのもあって、少々自分本位なところがある。自分では気を利かせてるつもりなのだろうが、こちらの都合も考えてもらわないとそれはただの横暴だ。それ以外の良いところをたくさん知っているし、何より私だって彼の事大好きだから、長く一緒にいるためにもそういうのはよくないと再三言っているのだが……。
「そういう訳だから、土曜日は行けません。日曜日にしない?」
「……それなら良い。土曜じゃなきゃチケット使えないし」
「別に使わなくても良いじゃない。出し渋るものじゃないわよ」
「そんなん、稼いでる社会人だから言えるんだよ!」
「学生だってバイトしてれば自分一人分のチケット代くらい稼げるでしょ! この前ブランド物のライダース買ったって自慢してきたのはどこの誰よ!」
「ライダースとチケットを一緒にするな! 映画とかライブとか、一回見たら終わるものに金使うとか勿体ないだろ!」
「ふざけるんじゃないわよ! 好きな人に失礼!!」
静かな住宅地に、醜く言い争う声が響く。喧嘩したとしてもそこは幼馴染み、隣同士の家に住んでいるので同じ方向に帰るしかない訳で。
結局、お互い無言のまま並んで帰る羽目になってしまった。
***
「あーはっはっはっは!!」
我慢しきれなくて、豪快に大笑いする。傍らで一緒に見ている親友の莉愛も、お腹を抱えながら震えていた。
「こ……ぶっ、こん、かい、も最高だった……わ……ぶはっ」
「ヤバい明日筋肉痛になりそう」
「大丈夫よ今日は土曜日……明日は休みだから、明日は家で落ち着いて……ぶふっ」
腹筋の心配をしながら涙目になっている莉愛へ、かろうじての気遣いを告げる。莉愛は黒髪ストレートロングで美貌のクール系美人だから、目尻に涙を浮かべているととても儚げだ……見た目だけは。
「いやーほんと、半年前から公式サイト張ってた甲斐があったわ。教えてくれてありがとうね」
彼の誘いを断ってまで優先した用事。それは、ずっと楽しみにしていたお笑いのライブ観戦だった。好きな芸人さんがこっちまで来てくれるとなって、持てる力の全てを使ってチケットをもぎ取ったのだ。そう簡単に諦められる筈がない。
「私こそ……美香沙に出会えて語れる仲間が出来て、ほんと毎日嬉しいから」
「莉愛……!」
照れ笑いを浮かべながらそういう親友に感極まって、ついむぎゅうと抱き締めてしまった。久々の人肌なんて言ってくれるものだから、ますます強く抱き締める。時折不自然に震えているのは、たぶん思い出し笑いだろう。
莉愛は一年前にSNSを通じて知り合ったお笑い好き仲間だ。彼女も周りではお笑いが好きと言えないでいるらしく、日頃のパッションはSNSで叫ぶだけだったらしい。そんな彼女の呟きに共感し過ぎて返信を送ったのがきっかけで話すようになり、同じ県に住んでいる事も判明し……今では、オフラインで一緒にライブを見に行くまでの親友となった。
「この後どうする? うちに来る?」
「どうしようか……特に用事はないから行っちゃおうかな。親にメッセージだけ入れるからちょっと待っててくれる?」
「うん」
社会人とはいえ実家住まいなので、外泊するなら一報入れる必要がある。メッセージアプリを立ち上げるためにスマホの電源を入れると、彼からの着信があるのに気付いた。
(……)
今電話を掛け直したら、絶対に時間が掛かる。それだと莉愛に申し訳ないので、もう少し放置して夜ごろ気づいた風を装い、明日掛け直そう。何、元々着信に気づかずに数時間放置はよくやるので、下手に勘繰られる事はあるまい。
そう結論付けて、家にだけ連絡を入れて莉愛と二人歩き出す。途中のコンビニに寄りたいなんて話をしながら、ライブ会場を出た瞬間。
「……美香沙?」
その姿を見た瞬間、リアルにフリーズした。え、嘘だろ、ワンチャン人違いと思っていたが、思いっきり名前を呼ばれたので撃沈する。
「……何でいるの!?」
ライブで得られた充足感が一気に吹き飛び、心の底から絶叫する。傍らの莉愛が、心配そうに私を見てきたのが気配で分かった。
「どうせ一人だし、久々にツーリング用品見に行こうと思って……」
「専門店は逆方向よね?」
「こっちに最近出来たんだよ。というか」
「何!?」
「美香沙が出てきたの、その建物だったよな」
「え」
「何してたんだ? その建物、今日はお笑いのライブしかなかっただろ」
「何で、知って」
「……詳しく説明してくれないか」
剣呑な雰囲気に飲まれて、つつっと背中を冷汗が伝う。よりによって、こんな言い逃れできないようなベタな展開になるなんて、一体誰が予想出来たと言うのか。
(……終わった)
人生終了の鐘が、カーンと脳裏に鳴り響いた。