プロローグ

 

「……ふう、一旦休憩しよう」
 そう独りごちて伸びをし、琴を弾く為につけていた爪を外す。何とはなしに外を眺めると、陽が沈んでいこうとするところであった。
(……あと二か月もすれば試験が来る。仕上がりは順調だって、先生も太鼓判を押してくれた)
 仙力を込めた歌を歌う事で病を治す専門家、歌癒士。まだ幼かった頃、歌癒士の方に怪我を治してもらったのをきっかけに憧れ、私もなりたいと言って両親に頼み込み……既に習っていた姉さまと一緒に歌を習わせてもらうようになった。
 正式な歌癒士になるには、中央の認定試験を受けて資格を得る必要がある。しかし、その試験は一定以上の年齢の仙人か仙女しか受けられない。今年の誕生日にようやくその年になったので、早速受ける事にしたのだ。
「試験項目は筆記と実技。歌の種類や歌詞、歴史を中心に出題されて、軽症治癒用の歌を実技で披露する事になっているけれど……」
 筆記に必要な知識も頭に叩き込んだし、伴奏の琴は目を瞑っていたって正確に弾けるくらいに練習してきた。後は、その知識と感覚を忘れないよう何度も繰り返し復習するだけだ。歌詞の暗記だけならば、重症用の歌だってばっちりだし。
(……未だによくわからないのは、あの歌だけね)
 小さい頃に姉さまと二人で聞いた、歌癒士が歌う中でも特別な一曲。死ぬ間際の状態の人ですらたちどころに治せるくらいに、強い力を持つ歌なのだという。
 元々天界では、病というものは身体と精神の異常であり、身体の異常は薬湯で、精神の異常は仙力を込めた歌で治すというのが一般的である。軽い症状ならばどちらかだけでも完治出来るが、症状が複雑だったり深刻だったりする時はどちらも用いる事で相乗効果を狙うのだ。
 しかしその歌は、力が強いから身体の異常すらも回復する事が出来るのだという。そんな凄い歌ならば、是非とも歌えるようになりたいけれども。
「使える相手が、自分が心から愛した人だけ、だもんなぁ」
 生まれてこのかた恋なんぞした事がない自分では、たとえ歌唱と伴奏を完璧に奏でられるようになったとしても使いようがないのだ。だから気にしている時間が正直無駄では……とも思うけれど、やはりせっかくならば全種類制覇したい。
「とはいえ、こればかりはやろうと思ってやれる事でもないし。まずは、目下の試験を突破する事だけを考えるべきね」
 自分の中の探求心を抑えるように、わざと大きな声に出してみる。やるべき事を蔑ろにしていては、他者の命に関わるような仕事は務まらない。
(……そうよ、類稀な才能があったが故に特別に許可が下りて最年少で歌癒士になった姉さまだって、恋を知ったのはこの一年以内の事なんだもの。焦る事はないわ)
 重ねて自分に言い聞かせ、夕飯の準備を始める為に琴を片付ける。食べ終わった頃には、すっかり陽が落ちて星がきらきらと瞬いていた。