第2話 貴女が幸せならば

 

「お前は私を愚弄したいのか!」
 その場を切り裂くような怒声が響き、足に衝撃が走る。立っていられなくて崩れ落ちるように座り込んでしまったが、助けようと近寄ってきてくれたのは実家から連れてきた侍女のシャンティだけだった。
「ご気分を害してしまいましたのならば、申し訳ありません。ですが」
「口答えをするな!」
 怒りに満ちた視線が、罵声が降り注ぐ。私を庇ってくれようとしているシャンティを制し、もう一撃もらった後で王子は取り巻きを連れてこの場を去っていった。
「シャルロット様、一旦お部屋に戻りましょう。何か冷やすものをお持ちします」
「……いいえ。王妃様への謁見許可をもらいに行ってきて」
「ですが、その足では!」
「これくらいの物的証拠があれば、流石の王妃様も動くでしょう。手当はそれからで良いわ」
「でも……そんな、真っ赤に腫れていては、歩くのにも差し障りが」
「あのまま王子の暴挙を野放しにしている方が危ないわ。愛人をたくさん作るのは勝手だけれど、愛人たちに良い様に金づるにされているのは王家の権威に関わる。その辺りの実情を伝えれば、王妃も動いて下さるでしょう」
 我が儘で、癇癪もちで、すぐに暴力を振るって、女癖が悪くて……王子の汚点を上げればきりがない。結婚式の日の夜だって、式を挙げた相手である私を放って愛人と遊び惚けていたのだ。それが、私への侮辱である以上に自身の権威を貶めているという事に、どうして気づかないのだろう。
 そんな身勝手な行動ばかりしていては、低俗な輩に舐められて好き勝手に搾取されるばかりだ。そんな状態であの人が王になれば、この国は破滅へと向かう事になる。
(……王子の破滅に巻き込まれれば、きっとその伴侶もただでは済まない)
 だからこそ、私が代わりに嫁ぐと言ったのだ。あの姉は、きっと夫を改心させようと尽力するのだろうけれど、間違いなく徒労に終わる。それどころか、利用されて罪を全部なすり付けられ、理不尽な重罪を課される可能性だってあるのだ。
 痛みを気合いで堪え王妃へ王子の遊蕩ぶりを報告した後で、ようやく自室へと帰ってきた。これで、しばらくは王妃が諫めて下さるだろう。
「……ねぇ、シャンティ」
「はい」
「今月も来たの?」
「ええ、届きましたよ。私にもねぎらいの一筆を下さって、スカーレット様は本当にお優しい方です」
「……そう。それは良かったわね」
「はい。過去にシャルロット様から頂いた分と一緒に大切にしますね。あぁ、シャルロット様宛のお手紙はこちらに……」
 にこにこと笑っているシャンティから手紙を受け取り、目を通していく。まともな味方がいないこの王宮で、彼女の笑顔にどれだけ救われた事だろう。
「何だかんだ、仲良くやっているみたいね」
「その様ですね。最初は突然の相手交代に町中が驚いていたらしいですけれど、持ち前のお優しい気性とひたむきさで打ち解けていったようです」
「へぇ……どちらも私には無いものだわ」
「まぁ、何を仰います。シャルロット様もお優しいですし、一生懸命な努力家ではありませんか」
「そう言ってくれるのは、貴女とあの人くらいのものよ……」
 それで十分だけれど。だって、褒められたいから頑張った訳ではなくて、周りに負けたくなかったから頑張っていたのだ。
 どうせ皆結果しか見ないのだから、その過程を褒めてくれる人なんていないと思っていた方が良い。誰もが神様に愛されている訳ではないのだ。大半の人間が、救いの手なんて差し伸べられなくて毎日を足掻いている。それが嫌で抜け出したいと言うのならば、自分で道を切り開いていくしか方法はない。いつかきっと、誰かが助けてくれる……なんて、そんな上手い話はないのだ。
 自分からこうしたい、してほしいと働きかけて、主張して、初めて目を向けてくれる人がいるかもしれない……世の中なんてそんなものだ。だからこそ、自分の事は自分で守って、自分の未来は自分の手で切り開いていくという意識でいないといけないと思っている。そうでなきゃ、守りたいものだって守れない。
「でも良かったわ。あの人が幸せならそれでいいの。やっぱり、アトラス伯に任せて良かった」
 お人よしじゃ王宮では生きていけない。あの心優しい姉が、身勝手な仕打ちでぼろぼろになっていく姿は見たくなかった。たとえ贅沢は出来ないとしても、平和に暮らしていて欲しかった。
「……シャルロット様」
 気遣わしげな声で、自分の名前が紡がれる。こういう時に、下手に励ますような人ではないから、彼女だけは連れてきたのだ。
「明日は来賓の相手だったわね。王子は当てにならないから、私がしっかりしないといけないわ」
「ドレスやアクセサリーは私が見繕っておきますから、今日はお早めに休んで下さいませ。一日中歩く事になりますから……少しでも休めて、酷くならない様に備えておきませんと」
 本当は予定を全てキャンセルしてほしいくらいですけれど、聞いては下さらないでしょうから。じとっとした目で見つめてくる優秀な侍女に、私の事を良く分かっているわねと言葉を掛ける。気遣いだけ受け取っておくわと続けた後で、足を冷やすための氷とタオルを追加で持ってくるよう言いつけた。