「わざわざ呼び立ててごめんね」
「ううん、大丈夫だよ……はい、これ」
「おお……本当にマフラーだ……」
紺色の毛糸で作られた無地のマフラーをしげしげと眺めながら、晴野君が呟いた。巻いてみてもいいかと聞かれたので、どうぞと促す。
「もこもこで温かい……」
ぐるぐるとマフラーを巻き付けた晴野君は、何だか可愛かった。少し長いかもしれないから、折って使うといいよと伝えておく。
「ありがとう、秋羽ちゃん」
「どういたしまして。気に入ってもらえたなら良かった」
「めっちゃ気に入った。嬉しい」
にかっと笑いながら、彼がそう言ってくれる。やっぱり秋羽ちゃんに任せて良かったとも言ってもらえたので、作った甲斐があるというものだ。
「……俺の方からも、渡すものがあるんだよ」
「そういえば、そう言ってたもんね。その紙袋のやつ?」
いつも私が渡すばかりで、彼から何かをもらった事はほとんどない。いつももらってばかりじゃ悪いからと、放課後に何か奢ると言ってくれた事もあったけど……人目を気にしてしまって、断ってばかりだったのだ。
断る度に、彼は残念そうな声で、眉を下げた悲しそうな顔で、それでもわかったと言ってくれていたけれど。好きな人にこんな顔させてしまうなんてという自己嫌悪と、それでも女の子達の視線が怖いからと思ってしまう自分の弱さが、いつもいつも嫌だった。
「うん、そう。はい……開けてみて?」
だから、渡したいものがあるんだ、それならいいでしょって言われた時、今度こそ応えたいと思った。何かを渡して、ありがとうと喜んでもらえる。それが何物にも代えがたい幸福だというのを教えてくれたのは、他でもない彼だったから。
「……これ、クッキー?」
受け取った紙袋の中に入っていたのは、シンプルなバタークッキーだった。ふわっと香るバターの香りが食欲をそそる。紅茶のお茶請けに丁度よさそうだ。
「そう。秋羽ちゃんが初めに俺にくれたのが、これだったでしょ」
「覚えてたんだ……」
あれから半年近くがたった今、既に数えきれないくらいのお菓子を彼に贈った。その中には、豪華なマドレーヌとかカップケーキとかもあったから、最初の素朴なお菓子を、覚えているとは思わなかったのだ。
「ネットで検索して見つけたレシピのだから、秋羽ちゃんの味には遠く及ばないかもしれないけど。俺にとって、秋羽ちゃんとの一番の思い出の菓子って言ったらこれだから。だから、俺の手で作って、今日この日に渡したかったんだ」
いやに熱っぽい目をしている気がする。胸が高鳴っていくとともに、今日は、そんなに特別な日だっただろうかと不思議に思って……そういえば、二月十四日だったと思い出す。
「俺、一つだけ秋羽ちゃんに嘘ついてたんだ。良くないって思ってたけど、それが嘘だって言ったら、理由言わないといけないから。だから、なかなか言えなかった」
嘘をついていた。そんな素振り一切見なかったから、意外な思いで彼に視線を向けた。皆目見当がつかないのだが、一体何に対してだろう。
「秋羽ちゃんと最初に話した時に、どうして名前を知ってるのかって言われたでしょ? 隣のクラスまでは全員覚えてるんだって言ったけど、それ、真っ赤な嘘。覚えてるのは……そうだね、今でようやく半分くらい」
半分でも凄いと思うけれども。そう思ったが、話の腰を折ってしまいそうなので、口を噤んだままでいた。
「そもそも、当時隣のクラスで覚えてたメンバーって、秋羽ちゃん以外は野球部に関わる奴だけだったんだ。同じ部活だから覚えていた訳で……だから、秋羽ちゃんの名前を憶えていたのは、もっと別の理由なんだよ」
「別の、理由」
人気のない校内の一角。二月十四日という日取り。まさか、まさかと気が逸って期待して。真冬だというのに、掌がじっとりと汗をかき始めた。
「…………ひとめ惚れ、だったんだ。だから、あの子は何組だって、何ていう子なんだって気になって。二組の野球部員の奴に名前聞いて、それで、覚えてた」
手に持っていた晴野君からの贈り物が、ごとりと音を立てて落ちていった。貰い物なのにごめんなさいと謝って、拾うために腰を下ろして膝をつくと。追いかけるようにして、彼も同じように膝をつく。
「練習の帰りに、カフェでケーキ食べてた秋羽ちゃんを見つけた事があるんだ。その時に、美味しそうに食べてるのが可愛いなって思って。その時隣にいた女の子が羨ましくて、同じように出かけたいって、一緒にケーキ食べたいって、あの子の事好きになったんだなって思って……だから、家庭科部の手伝いに行くメンバーに立候補したんだ。そうしたら、話すきっかけができるって思ったから」
拾おうとしてた手を取られて、マフラーを作ってほしいとお願いされた時みたいに握られて。真っ赤に火照った自分の顔が、一生懸命な彼の瞳に映っている。
「お菓子もらいに行くようになったのも、マフラー作ってほしいって言ったのも、秋羽ちゃんが好きだからだったんだ。好きな子が手作りしてくれた物が、欲しいって思ったからだったんだ」
喉は、からからに干上がっていた。何か言葉を発しようとしたのだけど、何を言っていいか分からなくて。音にならなかった吐息が、口からそっと漏れていく。
「秋羽ちゃん、いや……川越、秋羽さん」
「……は、い」
「俺は、あなたの事が大好きだ」
「は、い」
「だから……俺の彼女に、なってくれませんか」
贈られた言葉が体中を駆け巡って、全身が沸騰する。衝撃が、感激が、喜びが、この身全てを幸福に湧き立たせた。
「……はい」
何とか絞り出した返事を、口から零す。彼が握ってくる手に、ぐっと力が込められた。
「わた……わた、し、も……あなたが、好きです。晴野蒼汰さんが、大好きです」
「……っじゃあ!」
「はい……私を、あなたの彼女に、してください……」
緊張で、声は掠れてしまったけれど。どうしようもなく震えてしまって、途切れ途切れの言葉になってしまったけれど。言いたかった事は、きちんと伝えられた。
「もちろんだ!」
握られていた手が解かれて、私の背中に回された。いきなりのゼロ距離に、再び心臓が疾く駆け出す。
「どうしよう、今まで生きてきた中で、一番嬉しい」
耳元で、彼の低音がそう紡ぐ。ぎゅうぎゅうと強く抱きしめられて、恥ずかしさと嬉しさが溢れんばかりに込み上げてきた。
「これから、よろしくね。俺の秋羽」
きらきらと輝く瞳が、私を見つめている。近づいてきた顔に一瞬だけ怯んでしまったが、ぎゅっと目を閉じてそのまま受け入れた。
「……こちらこそ、よろしく」
互いの口を離した後で、彼を見つめ返しながらそう言った。震える声で、蒼汰君と呼んでみる。
すると、彼は今まで見た中で一番と言えるくらいの、嬉しさを滲ませた笑顔を見せてくれた。