第二話

 

『歌の練習をしていたら、下手だと笑われてしまったので』
 先日の黒髪ロング美女……もとい咲良さんは、静かに泣いていた理由をそう語っていた。くらしてやろうかそいつとは思ったが、咲良さんは笑われて傷ついてしまうくらいに繊細な心の持ち主だ。俺がそんな事をしたと知ったら、きっと更に困らせてしまうだろう。そもそも、どこの誰がそんな攻撃をしたかは全く知らないのだが。
『俺、一応二年間バンドのボーカルやってるんですよ。練習の甲斐あってか下手だとは言われた事はないので、何かのお役には立てるかもしれません』
 彼女の役に立ちたいという純粋な気持ち二割、彼女の歌が聞いてみたいという下心八割でそんな手伝いを申し出てみる。しかし、そんな俺の浅はかな企みは彼女の歌の前で淡雪のように消えていった。
『いやめっちゃ上手いじゃないですか!!』
『そ、そうです、か……?』
『そうですよ! 音程しっかり取れてるし、息継ぎの音も目立たないし、音と音のつなぎもめっちゃ滑らかで自然だし! 下手だって言った奴やっかんだだけじゃないですかね!?』
『そう、ですかね……?』
『絶対そうです俺が保証します! うわ俺めっちゃ上からものを言ってしまったのでは……? 何が役に立てるかもだよむしろ俺の方が教えてもらうべきでは?』
 数分前の自分の言動に恥じ入って、頭を抱えて蹲る。お前はいつもそうだ、可愛い美人の前でちょっと良いとこ見せたいって調子に乗るから、こんな事になるんだ。
『……あの』
『ファッ!?』
『あっ、す、すみません……驚かせてしまいましたか……?』
『大丈夫です綺麗な顔が近づいてきて驚いただけなので!』
『え……え!?』
 目の前の顔が色鮮やかな赤に染まった。うん、実に可愛い。けれども、そんな事を言っている場合ではないので、どうしたのかと聞いて話の続きを促した。
『私も、鍵司さんの歌が聞いてみたいな、と思って……』
『えっ』
『バンドのボーカルをしてらっしゃるのでしょう? どんなバンドなんですか?』
『えーと……全員覆面被って演奏してて……』
『バンドならば、やはりロックが中心ですか?』
『ロックも歌いますけど、ポップスもバラードも童謡も歌います』
『マルチジャンルに対応されているのですね』
『そう言うと凄く聞こえは良いですが……毎回メンバーのノリと好みで選んでいるだけなので、そんな大層なもんじゃないですよ』
『でも、幅広いジャンルに取り組めるのは良い事と思いますよ』
 にこにこと楽しそうに話している咲良さんの可愛さが天井を突破している。可愛さここに極まれり。語彙力を失って可愛いという言葉しか浮かばなくなった俺は、気が付いた時には弟妹にするみたいに彼女の頭をよしよしと撫でていた。美人というのは髪の毛まで柔らかくて手触りが良いらしい。
『えっ……ひゃあああああああ!』
『うわーーーっ!?』
 彼女の悲鳴で我に返って、ざあっと血の気が引いた。え、嘘、俺これセクハラじゃね? 訴えられる?
『す、すみませんすみません! あまりの可愛らしさについうっかり弟妹にするみたいにしてしまいました!』
『いえ、あの、大丈夫です! 私は一人っ子だから慣れてないだけで!』
『すみませんほんと! 俺には二歳下の弟と四歳下の妹がいます!』
 その情報絶対いらん情報だっただろと思いつつ、もう言ってしまったのでどうにもならない。とりあえず、怒ってはいなさそうな雰囲気に安心して、ほっと胸を撫で下した。
『それでは、あの、お願いしても良いですか?』
『わ、分かりました……お答え出来るかは分かりませんが、リクエストとかありますか?』
『……では、元気の出るようなポップスを』
 それなら前回のライブで歌った曲にしておくか。そう思って、頭の中で拍子を取りイントロサビを歌い始めた。Aメロ、Bメロ、サビ……と歌い続け、区切りの良いところで歌い終わる。一礼すると、パチパチパチと拍手が聞こえてきた。
『鍵司さんも上手です! 躍動感があって、聞いていたら楽しくなってきました!』
『ほ、本当ですか? お世辞とかではなく?』
『真剣に向き合って下さった方にお世辞なんて言いませんよ! 少々厳しい事を言えば、音程が少し外れてるところとかアクセントが気になった部分が無い訳ではありませんでしたけど……でも、こういうポップスは特に、正確さよりも周りを巻き込んでいくくらいの勢いや元気さが必要だと思いますし』
 そういう観点で言えば満点でした。そんな風に言って笑ってくれた彼女の笑顔の方が、俺にとっては百パーセントの満点に思えた。