第五章 貴方が私のただ一人(2)

 

「……本気で言っているの?」
 私を見下ろす姉さまの瞳は、恐ろしいまでに冷たかった。流石に怖気づきそうになったが、絶対に負ける訳にはいかない。私の肩には、弦次さまの命と健康が掛かっている。
「本気よ。正式な歌癒士にもなれたから、今こそあの伝説の歌を習得して使う時だと思うの」
「貴女はまだ新任だわ。新任の状態じゃ一人前とは言えない。そんな状態で、上級歌癒士でも扱いが難しい歌を歌うのは危険よ」
「でも、上がれるまで待っていたら間に合わない。無茶でもやらないと」
「そんな向こう見ずな考えは捨てなさい。重症治癒の歌ですら、歌い終わった後に立っていられなかったのでしょう? そんな状態で使えば、貴女の方が危ないのよ!」
「それでもやるの。私にしか、彼を助けられない!」
「思い上がるのもいい加減にしなさい!」
 姉さまの鋭い声が、私を切り裂いた。思い上がり。確かに、私の歌癒士としての能力は、まだまだ姉さまには遠く及ばないけれど。それでも、弦次さまを強く想う気持ちがあれば大丈夫と思っていたけれど、それこそが思い上がりという事なのだろうか。
「私は、自分の実力を見誤って過負荷で倒れた仲間を何度も見てきた! 助けたいという思いが先行するあまりに気が逸って、本来ならば何の問題もなく使える筈の術が使えなくなって助けられなかった事例も目の当たりにしてきた! そんな皆は決まって言ったわ、私にしか出来ないって! 馬鹿じゃないの!?」
「ねえさま」
「どうして歌癒士が認定された後も細かく組分けされて研修を受けると思う!? どうして歌癒士が単独で本格的に活動出来るのは上級以上の人だけだと思う!? それは、過負荷を避けて自滅を避けるためなのよ! 先走る仲間を諫めて止めて、その仲間が再起不能になるのや患者を間違いなく救うためなのよ!」
「それ、は」
 歌癒士は生命に直接関わる役目だから、認定されるまでも大変だが認定された後も下積みが長いのは知っていた。定期的に行われる協会の研修には必ず参加しなければならないし、指導者となる上級歌癒士一人と初級中級の歌癒士数人で現場に向かって治療に当たるのが基本である。
 そして、中級に上がれば軽症の治療は単独でも出来るようになり、上級に上がれば個人で治療依頼を請け負う事が可能になる。特例で飛び級して歌癒士になった姉さまですら、認定後の下積みは例外なく行っていた。それだけ万全を期さないと、命という重いものは扱えないのだ。
「ともかく、自分の力量を見誤るような愚行だけは止めて。分からないようなら、桐鈴の天の衣は私が預かりますからね」
「姉さま」
「話はそれだけ? それならもう終わったから、私は一旦家に戻ります。くれぐれも、早まらないように」
 それだけ言って、姉さまは部屋を出て行った。後に残された私は、どうする事も出来ずに……茫然と立っているばかりであった。

  ***

「なるほど。それで、泊まり道具と天の衣を一式持ってここにやってきたと」
「はい」
「でも、厳しい事を言うけれど……麗鈴の言っている事も心配も、最もだと思うわ」
 ちょっと身内相手には感情的なきらいがあるけれども、麗鈴は基本物事の評価が正確に出来る方だから。そう言って溜め息をついている先生の言葉に首肯する。姉さまは、美人で性格も良くて歌癒士としても優秀で出来た人だ。だからこそ、時に冷酷なまでに現実的な部分もある。
 だけど、その現実的な冷静さも、声を荒げる程の感情も、間違いなく私への愛情から来るものなのだ。それは分かっている。分かっているけれど、どうしてもやらねばならぬ時というのはある。
「私の望みが、私の実力以上の事だと言うのは重々承知です。身の程知らずと、未熟者がと、そう言われても仕方ないと思います。きっと、私が治療するより……姉さまみたいな上級の実力者にお願いした方が、私がやるよりずっと安定して治せるとも思います」
「そこまで分かっていて、それでもあの歌を習い自分で治療したいと?」
「そうです。弦次さまを治せる人は、私以外にもいるでしょう。それでも、私が、私自身の手で、彼を治したいんです」
 まっすぐ目を逸らさずに、先生を見ながら主張する。確かに、私にしか彼を助けられないというのは、私の思い上がりだった。実力だけで言えば、きっと姉さまや先生の方が私よりも上手く彼を治せるだろう。
 だから、これは、思い上がりではなくて私の我が儘なのだ。愛する人を救うのは私でありたい、好きな人を他の人に任せたくない、という、ともすれば想う人を危険に晒しかねない私の傲慢。だけど、そう思うのは、間違いなく私が彼を愛しているからだ。
「……そういえば、貴女が今髪につけているのはその彼からの贈り物なの?」
「え? ああ、はい……そうです」
 いきなり指摘されて、面食らいながら返事をする。以前、似合うと思ったからと言って弦次さまからもらったかんざしを、今回一緒に持って来ていたのだ。見ていると、下さった時の彼の笑顔を思い出すし貰った当時感じた喜びも思い出せるから、心の支えとなってくれていた。
「縁ある物は、媒介として術を使う補助になります。そのかんざしには双方の想いと思い出が籠っているから、十分媒介足り得るでしょう。それを使えば、いくらか負担が減らせるかもしれないわね」
「壊れたりしませんか?」
「術用の強い仙力を流し込む必要があるので、壊れる可能性はあります。けれど、それを恐れて贈り主である彼が死んでしまえば本末転倒でしょう。桐鈴は、かんざしと彼のどちらかを選べと言われたのならば、どちらを選びますか?」
「……それは、もちろん、彼の方です」
 かんざしの事だって心から大事だと思っている。全く同じかんざしは一本とないのだから、今私の髪に刺さっているかんざしだって唯一無二だ。だけど、私は彼自身を好きだから、愛しているから。どちらかを選べというのならば、迷わずに彼を選ぶ。
「それならば、私もくくるので貴女も腹をくくりなさい」
「先生?」
「旋律と伴奏そのものは難しくないので、貴女なら問題なく覚えられるでしょう。ですが、仙力の練り方の習得に時間がかかると思います。だから、すぐに稽古を始めますよ」
「! あ、ありがとうございます!」
「礼は習得してからで構いません。一刻を争うのでしょう、五分で支度なさい!」
「はい!」
 先生の指示が飛ぶ。それに返事をして、琴を準備し正装に着替えた。本来の稽古ならば練習着で行うが、仙力の調整練習も併せて行うため練習着ではいけないらしい。少しでも負担を減らしつつ、習得の為の修練時間を確保するためであろう。
「それでは、始めますよ」
「よろしくお願いします!」
 琴の脇に正座して、深々と頭を下げる。頭を上げて先生と視線が合った瞬間から、猛特訓が始まった。