純情バンド少年、悩める少女に恋をする

 

 時はある日の休日十四時半。よく行く公園の湖の畔で、見慣れない人を見つけた。
(……黒髪ロングの、女性?)
 後ろ姿しか見えないので何とも言えないが、あの細さと醸し出す美しい雰囲気は女性な気がする。とはいえ、こんな時間に既に人がいるなんて全くの誤算だった。
(まいったな……いっつも人がいないから、格好の練習場だったのに)
 俺は、高一の時に友人三人と『メンバー全員覆面のバンド』なるものを結成し、高三になった今までも定期的に活動をしているという男だ。次のライブが二か月後に決まったので、その練習をしようと思っていつもの穴場にやってきたのである。
 しかし、今日はいつもと違って先客がいた。早速出鼻を挫かれて、すっかりやる気は迷子になっている。
(でもな……下手にカラオケとかに行くと、他の奴らに見つかりそうだし)
 俺たちのバンドは、全員覆面を被っている。同じ高校のやつとかにはある程度正体を知られているが、ライブハウスに来る観客の大半は正体を知らない。知られたところで影響などないだろうが、ファンの夢を壊さないようにするのがアーティストってもんだ。断じて、巷ではボーカルはクールでクレバーなイケメンの男と言われているのに、その実体はおっちょこちょいの万年赤点野郎だと知られるのが嫌な訳じゃない。
 すぐに立ち去る可能性もあるし、少し様子を見てみよう。そう思い、暫定黒髪ロングの美女に気づかれないよう移動しようとしたら、美女が音もなくこちらを振り返った。
「……!!」
 その女性は、確かに間違いなく美人だった。鼻筋はすっと通っていて、頬は滑らかで薄く色づいていて、まつ毛も長いし目も大きい。吸い寄せられるようにその美顔を見つめていると、彼女の目尻に涙の跡が残っているのが見えてしまった。
「え、だ、大丈夫ですか……ってうわああああああ!?」
 こんなところで静かに泣いているなんて、一体何があったんだ。そう思ったら、もう、いてもたってもいられなくて。だから、何があったのかを尋ねようとして一歩踏み出した瞬間、俺は、転がっていた石にけっつまずいて、盛大にずっこけた。
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫、です」
「でも、膝」
「膝……? うわっ怪我してる」
「あっちに水道がありますから、一旦洗いましょう!」
 心配していたのはこちらの筈だったのに、いつの間にか立場が逆転してしまっていた。まぁ、彼女の方の涙は引っ込んだようだったので、結果オーライと言えるだろう。
「結構血が出てますね……私、消毒液とガーゼ買ってきますよ」
「あ、お構いなく。持ってるので」
「持ってらっしゃるんですか?」
「そうなんです……小さい頃からよく転んで怪我をしていたので、母親に一式持ち歩けと言われまして」
 情けない事この上ないが、彼女に金を使わせるのも申し訳ない。そんな訳で自前で持っている旨を自己申告し、それを使って手当をした。
「手際が良いんですね」
「アリガトウゴザイマス……」
 ガーゼに消毒液を含ませ丁寧に拭いて、軟膏を塗り滅菌の方のガーゼを当ててテープで止める……何十回何百回も同じ事をしていれば、流石に手際も良くなる。
「俺の方はもう大丈夫なので、あの」
「はい?」
「どうして泣いていたのか教えてもらえませんか?」
「……見ていたんですか?」
「見たのは一瞬です。泣いていたところは」
 馬鹿正直に答えると、彼女は思案するような表情になった。言おうかどうしようか、迷っているような表情だ。
「ええと……まず、貴方がどなたかを教えて戴いても宜しいですか?」
「俺ですか? 俺は、この町の高校に通っている高三の青野鍵司です」
「……私は、隣町の女子高に通っている高二の春原咲良です」
 はるはらさくら。そうか、この美女は名前まで美しいのか。
「ええと……それじゃ、教えてもらっていいですか、咲良さん」
 どう呼ぼうか迷ったが、せっかくだから名前の方を読んでみた。訂正はされなかったので、気づかれないように安堵する。
「分かりました。鍵司さん」
 俺が名前の方で読んだから、合わせてくれただけだろう。それは分かっているのだが、こんな目の覚めるような美人に名前を呼んでもらうのなんて初めてだから、無意識のうちに変な声が出そうになった。気合で止めたから、きっと気づかれてはいないだろう。
「ええと、あの……」
 ほんのりと色づいた形の良い唇が、ゆっくりと開かれる。紡がれる言葉に耳を傾け相槌を打っているうちに、太陽はすっかり沈んでしまっていた。