「貴方の事が好きです。私と付き合ってください!」
緊張で頬を紅潮させて。ふわふわと波打つ黒髪が揺れていて。いつも楽し気にきらきらと輝いている瞳が僕の方へ向いているのが、本当に本当に嬉しかった。
「……何度言われても答えは変わらないよ。断る」
なるべく彼女の顔を見ないようにして、心にもない答えを告げる。直接見ていなくても、彼女が肩を落として悲しそうな表情を浮かべているのだろう事は、容易に想像出来た。
「用件はそれだけ? じゃあもう行くから」
冷淡に聞こえるように。もう知らないって、諦めてもらえるように。そう思うのに、心のどこかではまだ諦めないでと思うのだから勝手すぎる。
(……僕じゃ、彼女には不釣り合いだ)
体のあちこちに火傷の痕があるし、根暗だし、コミュ障だし。可愛い系統の美人でいつもにこにこ笑顔で、クラスどころか学年の人気者な彼女の隣になんて立てる訳ないだろう。彼女の足を引っ張るのだけはごめんだ。
思考が鬱々としてきたので、頭を振って追い出していく。いっそ彼女への思慕も忘れられたら良いのにと思うけれども、告白の回を重ねる毎に増していっているのだから困ったものだ。
そういう時は文章に書き出すに限る。伝えられない思いも、鬱憤も、思考も、ノートに書き出せば忘れられた。無我夢中に書いて出せば、自分の心を守る事が出来た。
自室に戻ってきて、さっそく分厚い日記帳を開く。必死にペンを走らせると、心が少しだけ軽くなったような心地がした。
***
「うううううまた振られた……」
「何回目だっけ?」
「六回目……」
「もうそんなにいってたの? よく頑張れるね」
「だって、好きだもん……」
机の上に突っ伏しながら、目の前の親友へ愚痴を零す。そんな簡単に諦められるならば、こんなに苦労はしない。
「あんたが執念深いのは知ってるけども、よくめげないね。逆に関心するわ」
「それ褒めてる? てか人聞きが悪いなぁ」
「六回もすげなくあしらわれてるのにまだ好きって言えるなんて、そうそうないでしょ。ストーカーになるのだけは止めてよ」
「ならないよ! 私だって、完全に脈なしでどうしようもなくなれば、諦める事も検討するし!」
「それでも検討なのね……まぁ良いわ。でも、確かに、毎回振ってる割にはあんたを見てるっていうか、相手してるよね」
「でしょ!? 私が鞄につけてたキーホルダー失くした時だって、その場では何も言わなかったけどその後でたまたま見つけたからってメモ書きと一緒に下駄箱に入れててくれたし、図書室でテスト勉強してて分かんないって言ってたら、私がトイレ行ってた間に参考書にヒント書いたしおり貼っててくれたし! どっちも告白玉砕した後……二回目と五回目の後かな?」
「そう考えると不自然よね……そう言えば、何でそのしおりを貼ったのが奴だって分かったの?」
「彼の事好きな歴四年の私が彼の手書き文字を見間違えるわけ無いじゃない」
「あぁ……」
「普通、振った女が無くした泥だらけのキーホルダーわざわざメモ書き添えて下駄箱になんて入れないだろうし、わざわざ大判のしおりに問題の解き方を書いて渡すとかもしないよね? そんな手間かけてくれてるんだから、何か付き合えない理由があるのかなーとか、嫌われてはいないのかなって……思っちゃうじゃん」
彼と初めて会ったのは、中学生の時だった。引っ越してきたばかりで道に迷っていたら、助けてくれたのだ。お礼が言いたくて学校中を探し回ったけど、隣町の方の中学だったからなかなかチャンスがなくて。ようやく行けそうだと思って行ってお礼を告げたら、気にしなくて良かったのに、でもわざわざありがとうってはにかみながら言ってくれて。まぁ、それであっさり恋に落ちた訳ですが。
その後もちょくちょく会いたいと思って会いに行ったけれども、彼に会えたのは一回だけだった。そこで志望校を聞いたら教えてくれたので、必死に勉強して同じ学校に入学した。これからはもっと会いやすくなる! って思って、嬉しかったのに。
『どこかで会った事ある?』
傷つける意図なんてなかっただろう声のトーンで、本当に不思議そうに、彼は私へ言ったのだ。確かに、ふわふわした髪って可愛いよねって彼が言っていたから、ストレートだった髪に軽くパーマは当てたけど。でも、気づかれないほどに変化した、訳じゃなかったはずなのに。それでも忘れられていたという事は、まぁ、彼にとってはその程度だったのだろう。
だから、まずは意識してもらおうと思って告白したのだ。初めから、長期戦になる覚悟はしていた。なので一応想定内ではあるのだけど。
「……とりあえず今日はパフェを食べるわ。明日からも頑張るために」
「頑張りすぎて訴えられないようにね」
「一言多いよ!」
そうは言うが、目の前の親友が心配してくれているのは知っている。自分の考えや想いが、少々普通の人から離れているのかもしれないという自覚はある。
でも、それは諦める理由にはならないのだ。
***
「……昔の日記?」
大学進学も決まったし、部屋の整理をするか……と思って机の中に閉まっていた物を全部出していたら。古ぼけた日記が、一冊出てきた。
「これ、中学の頃のか」
正直、あまり思い出したくない時期である。元々やられていた母親からの暴力が酷くなって、入院沙汰になった時期だから。その後どこぞの男と一緒に逃亡したから、結果的には助かったのだが。父親はとうの昔に離婚していなくなっていたので、以降は自身の子供を育て終えた伯母夫婦のお世話になっている。
そのまま中身を見ずに捨てた方が良いのかもしれないが、どうしても中が気になった。じっくり読むとフラッシュバックする可能性が無きにしも非ずなので、パラパラとチラ見するだけにしておこう。
そう考え流し読みを始めて、ふと、とある記述に目が留まった。道に迷ってた女の子を助けたら、わざわざお礼を言いに来てくれて驚いたと書いてあったのだ。
「道に迷ってたのを助けた……? そんな記憶ないけど……」
でも、あの辺りの記憶は飛び飛びだ。単に自分が忘れているだけかもしれない。そのまま続きを確認していったら、その女の子の事がもう一回書かれていた。
「……まさか」
そこに書いてある容姿には、覚えがある。今は緩くウェーブしているけれど、昔はストレートだったと言っていた。すこーしだけ方向音痴のきらいがあるから、中学生の時に転入してきて、道に迷って助けてもらった事があるんだとも、言っていた。
浮かんだ一つの仮説に、思わず身震いした。それならば、僕は、単に彼女の告白を断るというだけ以上の、酷な事をしていたのでは?
『今どこにいますか?』
焦燥に駆られていたら、彼女からメッセージが届いた。同じ委員会に入ったからという理由で連絡先を交換させられ、幾度となく放課後の教室に呼び出されたっけ。呼び出された回数は、今や十を超えていた。
『君は今どこにいる?』
質問に質問を返して悪いとは思ったが、いてもたってもいられなかった。もう遅いと罵倒されるかもしれない、もう他の人と付き合い始めたからって逆に振られるかもしれない。それならば、せめて、謝罪だけはしたかった。
『私? 私は、春中の前の公園にいるよ』
思い出深い場所にいるようだ。日記によれば、僕は二回ともそこで彼女と会っている。今から行くとだけ返信して、スマホをポケットに突っ込んで駆け出した。
***
目の前に現れた彼は、ぜいぜいと息を切らしていた。そんなに急がなくても大丈夫だったのにと言って笑ってみせると、何故か、とても真剣な眼差しで見つめられる。片想いの相手にそんなじっと見つめられたら、ときめいてしまうから勘弁してほしいのだが。
「……ごめん」
「まだ私何も言ってないんだけど」
「違う、これは、その……忘れてた事に、対して」
「忘れてた事」
唐突に言われて首を捻ったが、ああもしかしてと思い至った。もしかして、中学の時にも会った事があるって、思い出してくれたのだろうか。
「中学の時の事? それなら、別に」
「でも、わざわざ隣町まで来てお礼を言ってくれた君の事を忘れてたなんて失礼にも程があるだろう。まして、僕は高校入学時にどこかで会ったかと聞いた筈だ」
「それは、まぁ……でも、結局はその程度だったって」
「違うよ」
彼にしては珍しく、切羽詰まったような声で告げられた。何が違うのだろうか、下手に期待させるのだけは止めてほしいのだが、と思いつつ続きを促す。
「その程度なんかじゃない。忘れてしまっていた事に関しては、申し開きのしようもないけど、でも、僕だってずっと君が好きだった」
「……嘘」
「本当、本当なんだ。自分に自信がなくて、今はそう言ってくれてても未来は分からないとか、僕じゃ君の隣には相応しくないからとか、そういう、卑屈な事ばかり考えていたから断ってきたけど」
彼の自己評価が低い事には気づいていた。それが、彼の過去に由来するのだろうという事も。本来絶対的な味方であり庇護者である筈の親からそんな仕打ちを受ければ、人格に影響してもおかしくないだろう。だからこそ、長期スパンで行かなければと思っていたのだ。
「僕は君が好きです。今更だって、もう遅いって、そういう事なら断ってくれて構わない。だけど、君が好きな気持ちだけは本物だから」
自分の頬に、涙が伝っていったのが分かった。今更なんて思わない、もう遅いなんて思わない。だって、今日もめげずに告白するつもりで、彼に連絡したのだ。だから、心に浮かぶのは、ようやく努力が実を結んだという歓喜だけで。
「私も。聞きたい事や話したい事はたくさんあるけれど、変わらず貴方が好きだから。だから」
その先を告げる前に、彼の腕に抱きしめられた。影が降りてきて、吐息が混ざって熱が触れる。いずれは言葉で聞きたいけれども、今だけは、この熱を感じられるのを喜ぼう。一生懸命に彼を受け止めながら、ぼんやりと考えていた。