「……また、だめか」
ため息をつきながら、中の液体を廃液入れに流し込んで蓋をする。空になった試験管を洗浄機にセットして、朝食の準備をする事にした。
少し焦げたトーストを齧りながら、届いた新聞を流し見る。めぼしい情報は得られなかったので、口に残った分をコーヒーで流し込んでダイニングを後にした。
『だめよ、カイトス。トーストだけじゃなくてサラダとオムレツも食べなきゃ』
ふっと、慕わしい声がした気がして、そんな訳はないのにと自嘲した。彼女の声帯が発した彼女の本物の声は、もう五年聞いていない。
「ミラ、ミラ。僕の……アンドロメダ」
くじけそうになる度に、瞳を閉じて眼裏に愛しい笑顔を映し出した。嬉しそうに僕を呼んでくれる溌剌とした笑顔が、昼寝から目が覚めて少しぼんやりとしている横顔が、僕を見上げて幸せそうにしている顔が、もう一度僕を奮い立たせてくれる。
「待っていて。必ず、必ず、君と君の未来を取り戻してみせる」
ぱん、と音を立てて頬を叩き気合を入れる。今度は加えた溶液の量を二倍に増やして結果を見てみるか、と次の手を考えながらラボに戻った。
***
カイトス=グリーゼ。このバレーナの国で生まれて育った、見た目はごく普通の一般的な青年である。
しかし、彼の中身は普通ではなかった。彼の生まれ持った能力は、まさに神童と称されるに相応しい程のものだったのだ。
彼がその類稀な能力を初めに発揮したのは、学校で開催されたクイズコンテストであった。チャンピオンとなれるのはほとんどが最上級生ばかりであったそのコンテストを、入学したてのわずか五歳で制したのだ。
そして、五歳ならば簡単なアルファベットが読めるくらいの年頃であるが、彼はその年で既に大人でも読むのが難しいような歴史書や古典、科学的な専門書をすらすらと読んでいた。そして、その内容をしっかりと理解していて、研究者との討論も遜色なく行なえていた。とある研究者が彼の着目点に感心し、自分が今抱えている研究が滞ってしまっているけどどうすればいいと思うかと聞いた時も、カイトスは論理的に考えて真面目に返答した。その理論に納得のいった彼はその通りに研究を進めていき、誰も成し得なかった世界初の偉業を遂げた。
それには、国中が震撼した。連日テレビは彼を取り上げ、たくさんのメディアが彼の元を訪れ、こぞって神童の様子を放送しようとした。
けれど、生来引っ込み思案のカイトスはメディア向けの少年ではなかった。連日押し掛けるメディアの要求に上手く答えられずに、大人を恐れて部屋に閉じ籠るようになってしまったのだ。思ったような映像が撮れないと踏んだメディアは、さっさと彼に見切りをつけて付き纏わなくなった。
それでも、カイトスのトラウマは消えなかった。外に出る事を怖がったカイトスはそれまで以上にたくさんの書物や論文・科学雑誌を読み漁るようになり、研究者とは変わらずに仲良くしていた。共同研究者として論文や科学雑誌に名前が載ったりする度にまたメディアが押し掛けてきたが、カイトスは科学雑誌のチーム以外からの取材には一切応じないままであった。
その後、カイトスが高等科に上がったくらいの年頃に、とあるラボが施設停止の憂き目に晒されていた。そのラボは、カイトスが幼少期から交流を持っている研究者の縁者が経営していたラボで、カイトスも何度か訪れた事がある場所だった。
『ここを僕に下さい。思う存分に自分の研究が出来るラボが欲しかったんです』
経営者は、その申し出を喜んで受け入れた。カイトスならば、きっとこのラボを有効活用してくれると言って、破格の値段で彼に譲った。
カイトスは、それに応えるように研究に没頭し、様々な発見をし、発明をし、真実を明らかにした。しかしその業績は、業界では有名だが世間的には知られていない雑誌にだけ掲載され、一般のメディアには出る事がなかった。
そのため、発明を使うのは研究者でない一般の人だから、僕も普通の生活を知らなければいけない。そう言って真面目に学校に通っていたカイトスは、当の学校では異質な存在として孤立してしまっていた。