中編 互いの真実

 

「どういう事か、お話し頂きたいのですが」
 翌朝、目を覚ました秋満さまの顔を覗き込みながら開口一番そう告げた。しばらくは視線を彷徨わせていた彼だけども、逸らさずに見つめ続けていると観念したようにため息をつく。
「それは……昨夜、俺が熱を出して倒れた事に関してか?」
「お分かり頂いているならば話は早いです」
「……分かった。元々昨夜のうちに打ち明けるつもりだったし、順番に話そう。起き抜けだから飲み物が欲しいが……心春は何か飲むか?」
「では、お茶を」
「舶来物の珈琲とかもあるが良いか?」
「はい。いずれ頂戴出来れば嬉しいですが、今回はお茶が良いです」
「分かった」
 聞き入れて下さった秋満さまは、部屋に控えていた女中に準備を言いつけた。一礼して下がった彼女を見送った後で、掛け声と共に一気に上半身を起こす。
「そんなに勢いよく起き上がって大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。心春のお陰だな」
 そう言って下さった秋満さまは、赤紫の瞳を優しく細めてほんの少しだけ口角を上げた。恐らく初めて見るであろうその微笑みを浴びて、どくんとひと際大きく心臓が跳ねる。
「そんな……それ程の、事は」
「してくれた。難しい治癒の術をあれだけ扱えるんだ。心春は、本当に凄い神様なんだな」
 彼が心から褒めてくれているのは分かったが、どうしても素直にお礼が言えなかった。私が治癒の術を人並み以上に使えるのは、単純にそれだけをひたすら特訓していたからだ。何があっても生き続ける為には、絶対に必要だと思ったから。
「……秋満さま」
 静かに深呼吸して覚悟を決めて、彼へ呼び掛けた。彼が自分の秘密を打ち明けてくれると言うのならば、私も同じだけ返さないといけない。
 私と彼は、夫婦となったのだから。
「うん?」
「私の方にも、貴方にお伝えしておかないといけない話があります」
 口の中がからからに乾いて、そう伝えるだけで精一杯だった。返答を聞くのを、恐怖で叫びだしたいのを必死に堪えながら見守る。彼は、驚いたのか瞳をまん丸にしていた。
「そうなのか?」
「はい……正直言って、良い話ではありません」
「そうだろうな。前置きがいる位なのだから」
「その通りです。だから……聞いた人はみんな、それならお前も同罪だ、お前も穢れているんだろうって口を揃えて言いました。私を責めて、仲間外れにして、神界の端に追いやって」
「……そうか。心春も辛い思いをしてきたんだな」
 そんな労りの言葉と共に、ぽんぽんと頭を撫でられた。優しさの滲む温もりが、止まらなくなってしまった私の感情を緩やかに止めてくれる。彼の輪郭は滲んでいるけれど、彼の赤紫の隻眼は、はっきりと輝いていた。
「そろそろ続きを話しても良いか?」
「……はい。お話の途中だったのに、遮ってしまって申し訳ありません」
「大丈夫、怒っている訳ではないんだ。気持ちが溢れて止まらなくて言葉も止まらない、なんて事は良くあるだろう」
「そう、ですね」
「そこは人間も神も同じなんだな。少しだけ、神様を近くに感じた気がしたよ」
「……秋満さま」
 赤紫に労りと情が灯った。ああ、どうして、私はこの人を怖いだなんて思ったんだろう。本当に、見てくれだけしか見えていなかったのだ。
「ええと……そうだな、昨夜俺がいきなり熱を出して意識を失った理由からだな」
「はい。持病でもあるのですか?」
「いいや。あれは、この身に受けた神罰のせいだ」
今度は私が大きく目を見開いた。秋満さまは、神の怒りを買うような人とは思えないのだけれど。
「神罰を受けたのは左目だ。それで左目の視力も色も失って、夜になると高熱にうなされるようになった」
「夜になると……って、まさか毎晩」
「熱そのものは出るが、日によって差がある。俺の場合、満月の日が一番高くて新月の日は微熱とも言えない程度だ」
「月の満ち欠けによって変わる、と?」
「ああ。神罰を与えた神が月を司る神だからだろう」
「……それ、まさか」
 神の名に思い至った瞬間、ぞくりと背筋が震えた。月を司る神、と言えばあの方しかいない。
「月読様……」
 私の声を聞いた秋満さまは、無言で頷いた。

  ***

「どうしてそのような事に? 月読様はやたらめったらと神罰を下すような方ではございませんし、秋満さまだって罰を受けるような方とは思えません」
「俺は、結果的に肩代わりするような形になっただけだ。本来この罰を受ける筈だった俺の親父は、息子を盾にしたと言って更に怒りを買ってその場で滅された」
「……」
 自分が助かる為に、罪のない息子に自分が受ける筈だった神罰を身代わりに受けさせるなんて。秋満さまには何の落ち度も無いのだろうから、冤罪の神罰なんて呪いと言っても差し支えないだろう。
「月読命は、俺の父を粛正した後で丁重に詫びてくれた。けれど、神罰というのは与えた神には解呪出来ないらしいな」
「その通りです。神罰は、言うなれば罪滅ぼしの為のものですから解呪する必要なんてありませんもの」
「かの神も同じ事を言っていた。だから、解呪出来るのは高度な治癒の術を使える高位神だけだと。そこで、ある提案をされたんだ」
「提案ですか?」
「ああ。神罰を与えてしまったのは自分だから、月読命御自ら解呪出来そうな神に声を掛けて俺に嫁がせると」
「……え」
 この結婚に、月読命が関わっていたなんて話は聞いていない。私が聞いたのは、神嫁を望んだ人間がいたからお前が嫁げ、という伯母の話だけだ。
「罰を受けて半月くらい経った頃だったか。夜になって熱に浮かされている俺の枕元に月読命がやって来て、ようやく見つかったと知らせてくれた。一週間後には嫁いでくるから、それまでの辛抱だと」
 突如知ったその事実に、動揺を隠せない。それならば、この婚姻は初めから名ばかりのもので、実際は間違って神罰を受けたこの人を助けるためのものだったと?
「解呪してもらうだけなら婚姻の儀をする必要はないんじゃないかと思ったんだが、月読命は術の効果を上げるために必要なんだと言っていたんだ。そうなのか?」
「そ、う、ですね……確かに、赤の他人よりは血族や姻族の方が、縁が強い分やりやすいです」
「なるほど。やはり縁というのは大切なんだな」
 秋満さまは得心がいったという風に頷いているが、こちらはそれどころではなかった。婚姻を望む人間がいるから嫁ぐように。そう言われたから、もう神界には帰らないという位の覚悟を決めてやってきたのに。肩透かしも良いところだ。
「とは言え、この婚姻は解呪のための婚姻だ。だから、解呪出来た後は離縁して構わないと言われている」
「では、秋満さまもそのようにお考えですか?」
「そのように、とは?」
「私が貴方の……神罰を無事に解呪したら、私とは離縁するおつもりですか?」
 彼の瞳をはっきりと見つめながら、問うた声は震えていた。秋満さまは一瞬だけ戸惑ったような表情になったが、その目を逸らして口を開く。
「……そのつもりだ」
 普通そうだろうと思う。目的がある婚姻なのだから、目的を果たせば解消するのが道理だろう。それなのに……それなのに、どうして、私は今こんなにも苦しくて悲しくて、泣き出したいくらいなのだろう。
「大丈夫か?」
「え?」
「いや、顔色が悪くなっていったように見えたから」
「ああ……大丈夫ですよ。詳しい事情を知らなかったので驚いてしまって」
「そうだったのか? そう言えば、月読命も治癒力に長けた一族の長に掛け合ったら了承してもらったと言っていたものな……その長は、今回の事情を心春へ説明していなかったのか」
 不親切だなと眉を潜めている秋満さまへ向けて、こくりと頷いてみせた。あの人は私を追い出したかったのだから、言う筈がない……言われていれば、家財道具は置いていっただろうけど。
「わざと言わなかったんだと思います。あの神達は、私を厄介者扱いしていたから」
「厄介者? もしかして……心春が優秀だから妬んで」
「いいえ」
 はっきりと否定すると、彼の赤紫の瞳が困惑を映した。そういう理由を先に思いつくなんて珍しい人だ。普通、何かやらかしたのかとか劣っているからとか、そう思う事の方が多いだろうに。
「私の父が……信仰を失って、邪神と成り果てたからです」
 そう告げた瞬間、彼が息を飲む音が聞こえた。そんな事がと呟いた彼の声にも、困惑が滲んでいる。
「私は、優秀な神なんかじゃありません。能力的には一般的な方ですし、父は優秀な神でしたけれど……父を祭っていた神社の参拝者が減って、経営が出来なくなったからといって取り壊されてた関係で、絶望した父は堕ちました」
 あの時の父は見ていられなかった。神界で暮らす神の中でも神社に祀られる神はそう多くない、そんな祀られる程の神であったのにと毎日嘆いて、嘆いて、心が壊れていって。
同じような目にあった別の神は、これも時代だと言って受け入れて心穏やかに過ごしていたから、あんなに思い詰めてしまったのは父の性格が理由だったのだろう。同じように、受け入れて欲しかったけれど。それは叶わぬ夢となった。
「私や母は、毎日そんな父を励まして、支えていました……いたつもりでした。けれど、矜持を忘れ人間に逆恨みを始めた父の暴走に、巻き込まれてしまったんです」
「……そんな神が暴走したら、ただでは済まなかったのでは」
「ええ。私と母が二人がかりで対峙しても、到底敵う相手ではありません。父を止めようとした私は重傷を負い、そんな私を庇った母は更に深手を負いました」
 だから、結局父は天照さまの側近であった月読様に討伐された。神界の中でも最強と謳われるお三方のひとりが相手では、流石の父も敵わなかった。
「父を討伐したその後で、月読様は私と母を救おうとして下さいました。けれど、どちらもあと数刻で消滅する……助ける手立てが、ほぼないと。そんな状況でした」
「それなら、どうして心春は助かったんだ?」
「母が最期の力を振り絞って、私を治してくれたんです。母も龍神だったので……それを見ていたから、月読様は私たち龍神の一族が、治癒に長けていると思われたのでしょう」
 その瞬間は、未だ鮮明に覚えている。目の前が真っ暗になってきて、このまま自分は消えてしまうのか、それは怖い、嫌だ……そう思っていたら、母さんの優しい声が聞こえてきた。
『大丈夫よ。心春だけは、絶対に助けるから』
 その言葉を合図に、温かな神力が体に流れてきた。流れていくままだった血も無事に止まって、ほっと一息ついて……何とか体を起こせるまでに回復したけれど。母さんの方は、助からなかった。
「その一件で、私は両親共に失いました。そして、邪神の娘だと言われるようになって、一族の他の神もそれ以外の神もほとんどが私を除け者にするようになって……変わらずに接して面倒を見てくれていたのは、母の母……祖母とその友神くらいでした」
 とつとつと語りながら、そうっと秋満さまの様子を伺った。彼は、とても真剣な表情を浮かべてこちらを見つめている。綺麗だな、と。何のてらいもなく思った。
「……では、俺はそのお祖母様と心春を引き離してしまったのか」
「数年前から祖母の家を出てひとり暮らしを始めていたので、その辺りは気にされなくて大丈夫ですよ」
「そうか、それなら良いんだが」
 本当にこの人は優しいと思う。見た目との差がありすぎた。これでは、変に誤解されないとも限らない……そんな心配をする権利、私には無いのに。
「私が話しておきたいとお伝えしたのは、この事です。秋満さまの神罰を解呪出来るだけの優秀な神を……というお話だったのに、蓋を開けてみたら能力普通の邪神の娘だったなんて、あまりにも申し訳なくて」
 気が咎めたから先に謝っておきたかったんだ、と告げた瞬間。彼の表情が怒りに満ちた。ああ、そんな人ではないと思いたかったけれど、やはり怒ってしまったか。
「本当に、嫁いできたのが私のような者で申し訳ありません。せめて解呪は出来るように頑張りますが……出来なかった際は、遠慮なく追い出してもらって構いま」
「何を言っている」
 私が言い終わらないうちに、秋満さまが口を開いた。怒るのは無理もない……と思うけれど、それにしては放たれた言葉が不自然だ。
「昨晩、心春は俺を救ってくれた。普通などではないだろう」
「……神界の中では、一族の中では普通ですよ」
「龍神の一族は元々平均が高いのだろう。それならば、神界全体で見れば心春は上位層に入るのではないか」
「それは……そういう考え方も出来るかもしれませんが……でも……」
「もう一度言うが、心春は俺を救ってくれた。救える力があった。だから、俺は心春で不足とは思わない」
「……秋満さま」
 私を見つめる瞳は、とても美しかった。会ったその日に結婚して、少し話して一晩過ごした。それだけの女を、どうしてそこまで真っすぐに信じてくれるのだろう。
「解呪出来た後どうするか、は一旦保留にしよう。神界に帰りづらいと言うのならば地上で過ごせるように計らうし、戻ると言うのならばそれでも構わない。勝手な事を言って申し訳ないが……まずは俺の神罰を解呪する、という事に力を貸して頂けないだろうか」
 曇りのない赤紫が、私の心を貫いた。私で良いと言ってくれた、私の力を貸して欲しいと言ってくれた。それが、その事が、涙が出るくらい嬉しくて。
「分かりました。私にも神としての矜持があります、貴方の神罰を無事に解呪できるよう、全身全霊で取り組ませて頂きますね」
 初めて芽生えた、彼への微かな感情には蓋をして。解呪に協力する旨だけ束した。