終章 愛を知った天界の花は艶やかに咲き誇る(3)

 

 弦次さまと想いを通わせてから半月後。ようやく、地上で生活しながら研修日だけ天界に帰るという日々にも慣れてきた頃合いだった。
「ただいま帰りました」
「お帰り。疲れてはないか?」
「貴方の顔を見たら吹き飛びましたわ」
 出迎えてくれた弦次さまの元に駆け寄ると、彼は危なげなく抱き留めて下さった。甘えるように彼の胸元に頬擦りし、おかえりの口づけをねだる。望み通りのものが得られた幸福でにまにまと口元を緩めていると、頬の方にも口づけられた。
「今日も座学だったのか?」
「半々でした。午前中は講義を受けて、その実践を午後から」
「そうか。お疲れさま」
 そんな労りの言葉とともに、彼の手の平が私の頭を撫でる。最初にしてほしいと言った時は顔から火が出るかと思ったし、彼の動きもぎこちないものだった。弟妹にはよくしていたらしいが、私は弟妹とは違うからと言われて、喜ぶべきか嘆くべきか少しだけ迷ったくらいだ。
「荷物を置いてきます。その後で夕飯の準備を」
「ありがとうな。米は炊いてあるから」
「そうなのですか? では、汁物とおかずだけ用意しますね」
 会話に区切りをつけて、名残惜しいが彼から体を離す。そのまま自室に戻って荷物を置き、着替えて厨に向かった。
「汁物には根菜を入れて、おかずは焼き魚にしようかしらね」
 貯蔵庫の中を確認しながら献立を組み立て、調理に取り掛かる。かすかに琴の音が聞こえてきたので、弦次さまは作業に戻ったようだ。
 それから半刻くらいで準備が出来たので、彼を呼びに行った。一緒に盛り付け、向かい合わせで卓を囲む。しばらくは、他愛無い話をしながら食べ進めた。
「……そう言えば、あのかんざしは最近使っていないのか?」
 何気ない、弦次さまの言葉に喉を詰まらせる。ごほごほとむせていると、大丈夫かと言って背中をさすってくれた。
(そうだ……あの顛末は、まだ話していなかったわ)
 あの瞬間を思い出す度に、言いようのない悲しみに襲われる。私の目の前で燃え尽きていった、弦次さまからの初めての贈り物。それなりに高価なものだったし、気を悪くさせてしまわないだろうか。
「怒っている訳ではないんだ。桐鈴はあのかんざしをよく付けてくれていたから、印象に残っていて……それで、つけていない今が少し不思議な感じがしてな」
「…………すみません」
「桐鈴? そんなにかしこまってどうした」
「あのかんざし……私の不注意のせいで、燃やされてしまって」
「え? 誰に?」
「あれを呪具だと勘違いした、私の姉に」
「……前に、一緒に地上で沐浴をしたという?」
「そうです」
 ちらりと見上げた弦次さまの顔には、特に負の感情は見受けられなかった。金属の部品もあったあのかんざしが燃えるなんて……という意味での驚きはあるらしく、青い瞳をぱちぱちと瞬かせている。
「私、貴方をどうしても自分の手で助けたくて、本来ならばまだ使わない方が良い負担の大きい術を使おうとしたんです。それで、その術を教えてもらおうと思って初めは姉さまに頼んだんですけど……激高されて」
「まぁ、そうだろうな」
「それでも諦められなかったから、小さい頃から歌と術を習っていた先生に頼み込んで教えてもらう事にしたんです。その先生は、かんざしを補助具に使えば多少は負担が減るだろうからって事で、了承して下さったんですけど」
「なるほどな。地上でも陰陽術という術があるが、式神とか呪術具とか使っているもんな……その辺は変わらんか」
「それはまた別に詳しく聞きたいです……それを知った姉が教室まで乗り込んできまして、言い合いになりまして」
「ふむ」
「自分を騙していた男を好きになるなんて有り得ない、そのかんざしがそう思わせるような呪具なんだろうと決めつけられて、それで……」
「……そうだったか」
 じわりと視界が滲んできたので、ぐっと唇を噛み締めた。こんなところで泣いて、彼に心配をかける訳にはいかない。
「桐鈴は悪くない。だから、そんなに気を落とさなくて良い」
「でも、せっかく頂いた物をこんな形で失うなんて」
「形あるものはいずれ壊れるものだ。姉上とは和解したのか?」
「はい。燃やした事を謝ってくれましたし、その後の術の習得にも力を貸してくれました。それに……合格祝いだと言って、手作りの着物をくれたんです」
「なるほど。妹思いの良い人じゃないか」
「……そうですね」
 姉さまは、まだまだ許せないなんて言っていたけれど。弦次さまはこうもあっさり良い人だと言ってくれるのか。大らかなのか、頓着しないだけなのか。別に……どっちであったとしても、私の気持ちは変わらないけれど。
「……そうだ、前に桐鈴が琴を教えていた娘御がな」
「はい」
「また教えてほしいんだと。頼まれてくれるか?」
「ええ、良いですよ……前の約束をすっぽかしてしまったから、もう見限られているかと思っていましたけれど」
「親御さんの具合が悪くなったから、急遽実家に帰ったという事にしておいたんだ。娘御も御母堂も残念がってはいたが、怒ってはいなかったぞ」
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「そのくらい構わないさ。それならば、次の休暇の時に挨拶しに行くか」
「そうですね。手土産を準備しておきます」
「土産はこっちで準備するから大丈夫だ……それで」
「はい?」
 どうしたんだろうかと思って、彼の方をまじまじと見た。私の視線を受けた弦次さまは、少しだけ頬を赤くして口を開く。
「その後にもう一度市場に行こう」
「買い出しですか?」
「それもあるが……そこで、もう一度かんざしを買おう」
「え? で、でも」
「……想い合っている恋人に、贈り物をするのはおかしい事ではないだろう?」
 そう言われて、首から上がぼっと熱くなった。それは確かに、おかしくはないし正直に言えばとても嬉しい。けれど。
「本当によろしいのですか?」
「男に二言はない……そもそも、数がないのは困るだろう? 同じ物ばかりでは早々に壊れかねないし」
「そうです、ね。それでは、お願い出来ますか?」
 じっと彼の青を見つめながら、問い掛ける。見つめ返して下さった弦次さまは、ゆっくりと頷いて下さった。