終章 愛を知った天界の花は艶やかに咲き誇る(2)

 

「そう言えば、相談があると言っていなかったか?」
 湯を浴びて火照ったので縁側で涼んでいたら、弦次さまにそう声を掛けられた。以前同じような事があった時よりも近い位置に座られたので、落ち着きを取り戻しつつあった心臓が再びせわしなく動き出す。
「ああ……そうです。あの、私、天界でずっと受けようと思っていた試験を無事に受ける事が出来まして。歌の練習をずっとしていたのも、そのためだったんです」
「そうだったのか。それで、ええと」
「首席で突破しました」
「それはめでたいな。おめでとう」
「ありがとうございます」
 そう答えつつ、じっと彼の瞳を見つめてみる。最初こそ不思議そうに見つめ返してきた弦次さまだけれども、次第に月明りでも分かるくらい顔が真っ赤に染まっていった。
「ど、どうしたんだ?」
「いいえ、別に」
 そうしてみたかったというだけなので、特に何かを要求するでもなく引き下がる。あわよくば、ビワを褒めていたみたいに頭を撫でてくれないかな……とは思ったけれど、まだまだ視線だけでは伝えきれないようだ。
「そんな訳で、私は幼い頃からの夢だった職業に就く事が出来ました。ですが、その仕事は直接生命に関わるものなので、初めの二年くらいは研修が多いんです」
「なるほどな。具体的な時間割とかは?」
「初回の研修で予定表が配られるので、それを見ない事には分からないですね。ですけども、過去に姉さまが受けていた感じだと、月の半分以上は座学と実技の研修があるようでした」
「残りが休暇か?」
「恐らくは。研修の内容の復習や自習をするようにも言われていますが、同じだけ十分な休息を取る事の大切さも繰り返し説明されているので」
「まぁ、確かにな。医者の不養生なんてなったら示しもつかんだろうし」
 弦次さまはそう呟いた後で、ふうむと考え込み始めた。少しだけ肌寒くなってきたので、もう少しだけ彼に近づいてみる。特に避けられはしなかったので、もっと距離を詰めてくっついてみると、羽織っていた上着を私の肩に掛けてくれた。そういうところには気が回るらしい。
「天界と地上は、時の流れは同じなのか?」
「いいえ。天界での一日は、地上での二日になります」
「それだと……一週間の研修に行く場合、地上では二週間経つ事になるのか」
「そうなりますね」
「それぞれの時間が分かるような道具とかは天界にあるか?」
「義兄の試作品なら」
「……失礼だが、それは使い物になるのか?」
「十分機能していましたよ。当の試験は弦次さまの救出と看病をしつつ受けたので、それを使って試験の時間に間に合うよう行き来していましたから」
「そう、か。そうだったんだな」
「ええ」
 そんな風に会話を続けていたら、ふいに彼の右腕が私の肩に回された。嫌なはずがないのでそのまま大人しくしておくと、少しだけ力が込められてぎこちなく引き寄せられる。逆らわずにもたれかかると、どちらのものか分からない早い鼓動が聞こえてきた。
「……桐鈴、提案なんだが」
「何でしょう?」
「ここから通うというのはだめか?」
「このままここに住んで、研修を受けるために天界に毎日通う?」
「ああ……桐鈴がそれで良いと言ってくれるなら」
「良いですよ。私も、そうしたいとお願いするつもりでしたから」
 正直に伝えると、耳元で嬉しそうな笑い声が弾けた。思わずそちらの方へ顔を向けてしまい、至近距離で視線が合う。吐息が触れてしまうくらいのその距離に驚いて、どちらともなく後ずさった。
「そ、そそ、それなら、良かった」
「いえ、こちらこそ、研修を受けるのを許して下さって、ありがとうございます」
「礼には及ばない。正直、研修期間は集中するためずっと向こうにいる、と言われるのも覚悟していたんだ」
「……それは、私の方が落ち着かなくて寂しいです」
 遠ざかった距離をもう一度縮めながら、答えていく。怒りで突発的に帰っていたあの時でさえ、青に弦次さまの瞳を見て好きだと思っていたくらいなのだ。両想いになった今、何日も離れ離れでいるなんて耐えられる自信がない。
「……俺もそうだろうから、おあいこだ」
 そんな言葉と共に、彼の両腕がこちらに伸びてきた。求められるまま抱き寄せられ、その勢いで彼の膝の上に乗せられる。普通に座るよりも不安定な体勢になったので、思わず彼にしがみついた。
「私がいなくなって、寂しかったですか?」
「当たり前だ。もう会えない、姿を垣間見る事も不可能だろう……そう思って、自分はなんて浅はかだったんだろうと何度も悔いた」
「自分の行いを悔いるぐらい、私を想って下さった?」
「……そういう事だ」
 吐き捨てるようにぼそりと言って、彼の額が私の肩の上に乗せられた。私を抱き締める腕の強さは変わらないので、照れ隠しだろうか。
「ふふ。弦次さまは可愛いですね」
「いきなり何を言い出すんだ」
「思ったまま言っただけですよ」
「桐鈴……疲れているのか? それなら無理せずに」
「無理なんてしていませんよ」
 本当に。貴方のためなら、どんな無茶だって成し遂げられる気がするのだ。しがみつく腕に力を込めて抱きつけば、同じだけの力で返してくれる。そんな貴方のためなら、何だって。
「貴方の事が大好きなんだなぁって、改めて自覚しただけです」
 そう言って、少しだけ低い位置にある青い瞳を覗き込む。鼻先同士が触れて、互いの吐息が熱っぽく絡んだ。
「俺だって、桐鈴の事が大好きだよ」
 低い声が耳の近くで響く。どきりと心臓がひとつ跳ねたその瞬間、弦次さまとの距離が零になった。
「……ん」
 心から愛する人との、唇同士を触れ合わせる口づけというものは。こんなにもとろける心地で甘くて幸せなものなのだと、初めて知った。