第四話

 

 この二十年ずっと研究に協力してくれていた同胞達の前で、それを行った。毒々しい赤色に透明なそれを注ぎ込んで、静置する。目の前で起こるはずの変化を、固唾を呑んで見守っていた。
「っあ……あぁ!! 赤色が、薄くなって!」
「おい、見たよな!? 俺の見間違いじゃないよな!?」
「ああ、間違いない! 試験管レベルだが、間違いなく効いてる!」
 歓喜の叫びが、ラボ中にこだました。技術が確立し、おそらくウイルスに有効だと言われていた成分を片っ端からスクリーニングしていたが、とうとう、一番強く反応を示した成分の単離抽出に成功した!
「速度的にも、見た目の純度的にも、きちんと成分単体として分離出来てる」
「これで薬として製造出来るな。ほら、成分の見つけの親だろ、薬の名前はカイトスが付けろ」
「……セルパネック、とかどうだ」
 ずっと考えていた、語呂合わせみたいな名前を場に告げる。すると、何故か皆で大爆笑し始めた。
「おい、何で笑ってんだ」
「ふ、ははっ! だって、そりゃあ分かりやす過ぎだろ! 流石、互いをアンドロメダとペルセウスと呼んでただけはあるな!」
「……悪いか」
「いいや? その一念がなけりゃ二十年も研究出来なかっただろ。創薬部門においては長い方だ、よく頑張ったな」
「臨床的な検証は今からなんだから、まだかかるだろ」
「でも、一験をやるのはハイコンだ。明日から早速そっちに取り掛かって二験に進もうぜ」
「二験、に……」
 健康な成人のデータを使っての演算で行われる、一験こと新薬開発第一試験。大昔は優秀な演算機がなかったから実際に人に投与して行っていたらしいが、今は数百年分蓄積したデータを使って優秀な演算機であるハイパーシミュレイトコンピューターが演算しデータ化してくれる。政府機関に提出するためのデータを揃えるには一週間程かかるので、その間に二験の準備を進めておけばスムーズに試験を始められるだろう。
「二験に協力してもらう患者を選定しないといけないな」
「その辺は俺らがやってやるよ。きちんと一枠は確保しておくから、お前は早く例のメダ嬢を起こしてやれ」
「! いいのか!?」
「いいも何も、このためにやってきたんだろ。安心しな、委員会もちゃあんと了承してる」
「あ、ありがとう……!!」
 何とかお礼の言葉を絞り出し、脇目も降らずに地下室へと降りる。ゲートを開けて中に入り、真ん中に横たわる最愛の恋人へと近寄った。
「ミラ、ミラ、僕のアンドロメダ! やったよ……ようやく、君を起こせる!」
 コールドスリープ用のコフィンで眠る彼女へ、やっと朗報を伝える事が出来た瞬間だった。

  ***

 ケートス。この国で萬栄しているウイルスが突然変異したことで引き起こされた病であり、それまでのどの疾患とも症状が異なり、故に特効薬が特定されないままだった事、罹患者が辿る末路ゆえに、恐怖の象徴としても語られている存在である。
 ケートスは初期症状から進行する速度がかなり遅い疾患であったので、当初は気づかれなかった疾患だ。何となくむくみが出る、かと思ったら急に汗が噴き出してくる。初期症状は、その程度だったからだ。
 次第に、ケートスの真の恐ろしさが分かってきて政府はようやく腰を動かした。各機関に要請を出し、基礎研究および特効薬開発、臨床データの蓄積と保管が開始された。カイトスの専門は医療系ではなかったため本格的な要請はなかったものの、ラボの一室の提供や研究内容の考察などには協力していた。その際に興味を持ったらしい彼は、次第に医療系の研究にも本格的に取り組むようになる。
 だが、研究の進捗は思わしくなかった。特に、薬に関しては……既存の薬では全く効果がないという事が分かった以外の事は何もわからず、成分のスクリーニングからしてみないといけないという状況であった。
 そんな時、彼にとって最も恐れていた事態が起こる。最愛の女性ミラが、ケートスにかかってしまったのだ。
 このまま薬が見つからなければ、十年も経たないうちに彼女は水の様に溶けて消えてしまう。その事実は、カイトスにとって絶望以外の何物でもなかった。