第六話 見知らぬヘアピン

 

「え? ラリマール様が?」
「はい。今はインカローズ様が対応して下さっています」
「姉さまが? 確か予定があったと聞いているけれど」
「ラリマール様がいらっしゃった時に、丁度居合わせられたのです。それで、まだ時間があるから自分があの子の代わりに対応すると申し出て下さいまして」
「分かったわ。今すぐに着替えて……いいえ、待たせる訳にはいかないしこのままお会いしましょう」
「それではお荷物をお預かりします。寝室の机の上で宜しいですか?」
「大丈夫よ」
 そう言い終えると同時に鞄をメイドへ手渡し、私自身は応接室へと向かう。学校帰りで制服のままだが、制服も礼服の一種として着られるので失礼には当たらないだろう。
「失礼致します」
 ドアの前で声を掛け、返答を待つ。どうぞという言葉が聞こえてきたので、ドアを開けて部屋の中へと入った。
「思っていたより早かったわね。今日は部活なかったの?」
「先日大会だったから今日は代休なの。ありがとう、姉さま」
「気にしないで。私も彼とお話してみたいと思っていた所だったから問題ないわ」
「そうだったの? それなら良かったけれど」
 姉さまと会話しながら、ラリマール様の様子も確認する。ブルーの瞳をこれでもかと見開いて私を凝視しているが、どうしたのだろう。
「……ラリマール様?」
 声を掛けると、彼ははっとしたような表情になって俯いてしまった。大丈夫だと思ったけれど、やはりドレスに着替えてきた方が良かったのだろうか。
「制服のままで申し訳ありません。お待たせするよりは良いかと思ったのですけれど、お気に召さないのであれば一旦辞して着替えを」
「大丈夫です!」
 こちらが言い終わる前に、彼の言葉が飛んできた。怒っている訳ではなさそうだが、それならどうしてあんなにじっと見てきたのだろう。
「謝らなければならないのはこちらの方です。貴女の都合を考えずに押し掛けてしまって申し訳ありません」
「私は大丈夫ですけれど……ラリマール様の時間を無駄にしてしまうのは本意ではないので、次からは事前に連絡を下さると嬉しいです」
「分かりました。ああ、でも、今日来て良かったです」
「何故?」
「ドレスも勿論似合ってらっしゃいましたが、制服もお似合いですね。可愛らしいです」
 可愛らしい。幻聴を聞いたのでなければ、彼は今、私に向かってそう言ったのか? 言われ慣れない言葉に驚いて、文字通り固まってしまう。
「まぁ、貴方もフローの可愛さを分かって下さいますか?」
「ええ。特に、ご家族の事を話している際の表情はとても愛らしいと思います」
「そうでしょう!? 綺麗と言われる事の方が多いし確かにそこらの女優よりも余程美人なのは誰が見ても賛成してくれるでしょうけれど、ふとした笑顔とかしぐさとかは年相応で可愛くて」
「姉さま!」
 アクセルが掛かり始めた姉さまへ向かって、釘を指すように呼び掛ける。むっとした様子なのを隠しもしないで、何かしらと問われた。
「私の話は良いから! 姉さま予定があるって言ってなかった!?」
「あるはあるけど、まだ大丈夫よ。でも、そうね……このままここにいてもお邪魔でしょうし、ここらで退散するわ」
 そう答えた姉さまは、実に軽やかな足取りで部屋を出て行った。いつになく声が高く弾んでいて、実に愉快そうに笑っている。
(……ん?)
 私の横をすり抜けていった姉さまに違和感を覚えて、思わず振り返った。しかし、姉さまは既に部屋を出てしまっていたので、それ以上は確認出来ずに終わる。
「……お見苦しいところを申し訳ありません」
「いいえ、そんな。双子の姉妹だけあって、仲が良いのですね」
「仲は良いですけれど、たまにあんな風に暴走しそうになるので困ります」
「愛ゆえでしょう。俺には弟しかいませんが、弟妹が可愛いと思う気持ちはよく分かりますよ」
「そうですか……いえ、私にもいますから、それ自体は分かりますけれど……」
「王家は貴女も入れて六人兄妹でしたっけ」
「はい。その内、私と姉さま、弟二人がそれぞれ双子です」
 ラリマール様の言葉に頷きながら、さっきまで姉さまが座っていたソファに座る。相変わらず温和な彼の笑顔を眺めて心を落ち着けていきながら、お互いの近況や学校での話に花を咲かせていった。
(……そうだわ。あれは初めて見る物だった)
 身に着ける装飾品の話になって、論文を読む際に前髪をピンで留めているという彼の話を聞いて。先ほど姉さまとすれ違った際に感じた違和感に見当がついた。
 あの時の姉さまがつけていたヘアピンは、私が初めて見る物だったのだ。

  ***

「今日はありがとうございました」
「お礼を言うのはこちらの方です。沢山お話出来ましたし、制服姿も見られましたし」
「……そんなに珍しいものでもないと思いますけれど」
「いえいえ。意中の相手の制服姿なんて、そうそう見られるものではありませんから」
 何とはなしにそう言われて、ぐっと言葉に詰まった。研究一筋だから色恋には縁がなかったとおっしゃっていたが、それでそんな台詞をこうも簡単に言えるものなのだろうか。でも、彼と他の女性が一緒にいるところを想像してみると凄く面白くない気分なので、それ以上考えるのは止めておいた。
「それでは、また」
「はい」
 そう言って、ラリマール様は一礼した後で帰っていった。彼を乗せた馬車が見えなくなるまで見送り、完全に視界から消えた後で王宮の中に戻る。その途中で、用事を終えたらしい姉さまと再会した。
「ラリマール様はお帰りに?」
「ええ。さっき門のところまで見送ったところ」
「フロー自ら?」
「そうだけど……何?」
「いいえ。やっぱり、今までの方とは違うんだなぁって思って」
「……姉さま」
「さっき話をして思ったけれど、ラリマール様は貴女に相応しいというか、合っている方だと思うわよ? ちょっと研究者気質過ぎるきらいはあるけれど」
「……研究熱心なのは確かね」
「そうよね。そうでなければ、私の火傷の痕部分の皮膚の細胞や組織を採取出来たら嬉しいなんておっしゃらないわよね」
「あの方そんな事おっしゃってたの!?」
 いずれ姉さまの痕を治すなら必要な事と思うけれど、それをまさか私以外の方が姉さまに打診するなんて。研究熱心もここまでくると、単なる怖いもの知らずと言った方が良いのかもしれない。
「ええ。それを研究する事で、同じような痕はもちろん手術とかの痕の治療にも応用出来るような情報が得られるかもしれないからって。私の都合がつく日なら採取してもらっても大丈夫ですよってお伝えしたら、教授に話してみると意気込んでいたわ」
「……そう」
 予想の斜め上を超えてきたラリマール様の反応と行動に、眩暈がしてきた。今までの見合い相手は、大抵醜いと罵るか痛々しくて可哀そうと言うタイプかに大別出来たので、そのどれとも違う彼は……確かに、今までの面々と違うと言い切れるだろう。
(……いいえ。それだけではないという事は、もう、自覚してしまった)
 最初と見合い当日と今日を合わせて三回直接会って、二回手紙の遣り取りもした。回数が増す度に、この方となら一緒にいたい、この方との未来ならありかもしれない、彼が私と結婚したいと言ってくれたように私も彼とならば……そんな想いに気づいて、思い悩む事が明らかに増えた。
 けれども。
「……私が先に幸せになる訳にはいかないから」
「最終的に皆が幸せになるなら、順番は変わっても良いんじゃない?」
「十数年そう誓い続けているんだから、今更そういう訳にもいかないわよ。それはそうと姉さま、今姉さまが付けているヘアピンはいつ買ったの?」
 また押し問答になりそうだったので、話題を逸らすために先程の疑問を尋ねてみた。憂うように眉を寄せていた姉さまは、私の質問を受けて例のヘアピンに手を伸ばす。
「これ? よく気が付いたわね」
「私達双子だからお揃い多いじゃない。でも、それは初めて見たから」
「なるほどね……これは貰い物よ」
「誰に?」
「この前のオープンキャンパスの移動時に、怪我して困っている方がいたの。そこで、フローに教えてもらったようにその方の怪我を手当てしたんだけど……後日その方から私宛に手紙が来てね。その中に、あの時のお礼ですって言って同封されていたの」
「ふーん……」
 そういう贈り物自体は珍しくないが、それを律儀につけているのは珍しい気がする。でも、普段姉さまが好んでつけているような色合いやデザインだし、純粋に気に入ったから付けているのかもしれない。
「姉さまの髪色に映えて、よく似合っていると思うわ」
 心からの賛辞を贈ったら、いつになく弾んだ声でありがとうと返ってきた。