第四章 それでも私は(4)

 

 足が地面についたので、そっと目を開ける。目の前にあったのは、かつて住んでいた弦次さまの家だった。
(生き物の気配がしない……という事は、ビワも帰ってきていないのね)
 最後に確認したビワは、土砂に向かって吠えていた。けれど、耳を澄ましてもそれらしき声は聞こえない。単に吠えるのを止めたのか疲れ果ててしまったのかは分からないが、早く合流した方が良さそうだ。
 本当はすぐにでも捜索を開始したかったが、家の方も迎える準備をしていないと手間取って余計に時間を取られてしまうだろう。一旦部屋の方へと入って彼の布団や着替えを準備し、お湯を沸かして保温のための仙術をかけた。食事はすぐに食べられるか分からないので、今はなくても大丈夫だろう。
 床の準備は整ったので、持ってきた仙具を全部出して確認する。すぐに使う物はそのまま出しておいて他は一旦袋の中に仕舞い、姉さまから借りた上着を着直して仙具を纏めた袋を背負った。
 庭へと出てから、探索器へ仙力を流し込む。機械の針が動くまで待っていると、かたかたと音が鳴って南東の方を指し示した。星や月の位置と照らし合わせ、目印となる星を決める。
 探索器と星が示す方角へ、迷いなく進んでいった。程なくして無事に現場と思わし場所へと到着したが、月明りだけでは見えづらい。このままでは救出の時に困るので、もう少し明かりが欲しいところだ。確か、持ってきた中に携帯用の照明があった筈。
 ごそごそと荷物を漁り、目当ての物を見つけた。こちらの方にも仙力を流し込んで明かりをつけ、土砂全体を照らせるように置く位置を調整する。
「ワンッ」
 さあ今から掘り返そう……そう思った瞬間、後ろから犬の鳴き声が聞こえてきた。どことなく弾んで嬉しそうなその声に、少しだけほっと胸を撫で下ろす。
「ビワ! 無事だったのね!」
「ワンッワンワン!」
「ええ、ええ、もう大丈夫よ、私が彼を助けるから!」
 前足を私の膝にぺしぺしとつけてきたので、そっと握った。土に塗れて爪がぼろぼろになっているのは、必死に掘り返そうとしていたからなのだろうか。そんなビワの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうだ。
「ビワは、弦次さまがどの辺りにいるか分かる?」
 二次災害が起こらないように保全の術もかけないといけないので、場所の特定にはあまり仙力を割きたくない。先ほどまで掘り返そうとしていたのならば、ビワには大まかな場所が分かるだろう。そう思って問いかけてみると、こっちへ来てとでも言うように着物の裾を引っ張られた。
「……ここね」
 先ほどよりも少し北の方の、手前の位置に連れてこられた。確かに、掘り返そうとした穴がいくつか空いている。心配そうな表情をしているビワを安心させるように、ゆっくりと頭を撫でた。更に頭を擦り寄せてきたので、もう少しだけ撫でてやる。満足したらしいビワが離れていったので、土砂に向かって両手を翳し仙力を込めて呟いた。
「かの者の居場所を示せ」
 両手がじんわりと熱くなった。手に取るように、彼が土砂の中のどの辺りにいるか、どのくらいの深さにいるのかが分かってくる。一筋流れていった汗を袖で拭い、大掛かりな仙術を使う際に使う補助具を展開した。
「……今助けますから。謝ってもらうまで、身罷られてはだめですよ?」
 もちろん、謝ってもらった後だって生きてくれないと困るけれど。でもまずは、彼を救出して命を繋ぐ事が最優先だ。なので、自分に気合いを入れるためにそんな事を呟いた。
(まずは土砂全体に保全の術、次に彼の上にある土砂を退ける術)
 順番に術を重ねていきつつ細かい調整をしていく。少しでも仙力の配分を間違えれば余計に危険な状況になるので、意図的に大きく呼吸をして気を静めながら行った。
「弦次さま!」
 彼の上に層を作っていた土砂をくり抜いて、彼の体をこちらへと移動させる。ここで集中を切らせば全てが終わりだ。もう一度息を整え、ゆっくりと彼の体を地面の上に横たえた。
「良かった! 心臓も呼吸も止まってない!」
 最悪どちらも止まっているという状況を想定していたので、まさに不幸中の幸いだった。まだまだ予断は許さないが、安心はして良いだろう。
『夢うつつを彷徨う魂よ この声に応えて』
 少しでも回復する事を願って、重症時の治癒の歌の一つを口ずさむ。楽器伴奏無しに歌うにはそこそこ負荷が掛かる歌だけれども、借りた上着のお陰か想定よりも疲労感は少なかった。
 寝かせた彼に付いている土を払って、顔や体を持ってきた手拭いを術で濡らして拭っていく。彼の寝顔を眺めながら、とある事を実行するか否かを暫く悩んだ。
(……でも、まだ意識戻ってらっしゃらないし、一応両想いだったんだし)
 それなら大丈夫かな。そう結論付けて、癒しの力を込めた仙力を練り始めた。
『早く目を覚まして』
 歌ではなくて、祈りを込めて。彼の唇に私のそれをそっと触れ合わせて、ありったけの力を流し込んだ。

  ***

 無事に弦次さまを家まで連れて帰ってきて、用意していた布団に寝かせた。状況を記した手紙を持たせて麓の医者の元へ行かせたビワは、まだ帰ってこない。
「……峠は越えられた、のかな」
 何とはなしに、そんな事をぽつりと呟いた。けれども、ここには弦次さまと私以外には誰もいないし、弦次さまはまだ目を覚ましていない。当然、相槌も言葉も返っては来ない。
 呟いた自分の声に返事がないのが、こんなにも寂しい事だったなんて忘れていた。姉さまが結婚して一人になったから、それで当たり前の筈だったのに。彼と共に暮らすようになって、誰かが話を聞いて答えてくれると言うのが普通になって、すっかりそちらの方に慣れてしまっていた。
「おおい、誰かいなさるか」
 ぼんやりと感傷に浸っていたら、中庭の方から年配の男性の声が聞こえてきた。ワンワンと吠える声も聞こえてくる。
「お医者さまですか!?」
「如何にも。お主がこの犬御に手紙を持たせた御仁かな?」
「はい! 弦次さま……ここの家主さまが、土砂崩れに巻き込まれて!」
「本人は何処に?」
「こちらです!」
 来てくれた先生を床の間まで案内し、眠っている弦次さまと引き合わせた。傍らに風呂敷を置いた先生は、中身を出して診察の準備を始めている。
「いつ頃巻き込まれたかは分かるかい?」
「それは存じませんが、ここまで連れて帰ってきたのは夜明け前くらいです」
「その時点で息はあったかね」
「ありました。心臓は問題なく動いていて、息は今よりも少し細いくらいでした」
「なるほどなるほど。どれ、外傷が無いかを見たいから布団を剥がしても宜しいか? この横にある着物は使っていいのかね」
「大丈夫です。あの……それなら、私はお茶を入れてきますね」
「いてくれても構わんよ。むしろ、もう少し詳しい話を聞きたいからいてくれた方が助かるんだが」
「でも、あの……肌を見せ合うような関係ではないので」
 それだけ言って、逃げるようにその場を辞した。初いのうと笑っている声が聞こえてきた気がするが、気にしない事にする。
 厨で湯を沸かしながら、熱くなってしまった頬をぺちぺち叩いて冷ましていった。多少は収まったところで沸騰したので、先生の分と取り置き分のお茶を入れて床の間に戻る。丁度診察と処置を終えた後だったらしく、弦次さまの服は言われた通り枕元に置いていた寝巻に替えられていた。
「おお、ありがとう」
「先生、あの、弦次さまのお怪我は」
「腕に擦り傷があったな。足の方には擦り傷と打撲の痣が見受けられた」
「彼の指は」
「見た感じはどうもなかった。動くかどうか等々は、起きてから確認するしかないな」
「腕や足の怪我は……治りますよね?」
「治る治る。毎日きちんと綺麗にして薬を塗っておけば痕も残らんじゃろ」
「そうですか……良かった」
 その言葉を聞いて、体の力みが抜けていった。大丈夫な筈とは思っていたが、人間と天界の住人は体の丈夫さや仙力の有無が違うので、不安だったのだ。
「後は目が覚めるのを待つばかりだな。土砂崩れに巻き込まれてこれだけで済んだなんて、この御仁は余程神に愛されていると見える」
 そんな事を呟いた先生は、広げてあった風呂敷から壺らしき物を二つ渡してきた。一つは外傷用の軟膏で、もう一つは打ち身用の軟膏らしい。一日に一回から二回、患部を水で洗った後で塗るようにとの事だった。
「あとこれも渡しておこう。お香の焚き方は知っているかい」
「存じております。何か薬効がある香なのですか?」
「薬程ではないがな。気分を解してくれる良い香りがするからか、体内の治癒力が高まって怪我の治りが早くなったという話をちょいちょい聞くんだ」
「ありがとうございます! あの、諸々お代は」
「お主がこの御仁の金子の在りかを知ってるんなら貰いたいところだが、知っとるんか?」
「一旦は私の分からお支払いします。彼が目を覚ましたら彼に請求しますわ」
「そうか。それなら、薬代込みでこんくらいだな」
 そう言って金額を示されたので、自分の財布を取りに行く。書いてもらった明細を受け取って、丁度の金額を渡した。
「それじゃあ、次は二日後か三日後に来よう。それまでの間でも、急変したとかがあったら呼んでくれて良いからな」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
 深々と頭を下げて、感謝の言葉も伝える。玄関まで見送った後で、持ってきていた天界時間の時計を確認した。
(……そろそろ戻った方が良いわね)
 今帰れば、天界の夜明けには間に合うだろう。それならば、軽く湯を浴びて仮眠しても、昼の試験には間に合う筈だ。
「ビワ」
 中庭に寝転がり朝日を浴びていたビワを呼ぶと、尻尾を振りながら駆け寄ってきた。廊下に手拭いを敷いてビワを抱き上げ、足の汚れを拭う。
「私、試験を受けに一旦天界に帰るわ。その間、弦次さまをお願いね」
「ワンッ」
「弦次さまの横にこの貝を置いておくから。何か緊急事態があったら、この貝を押して知らせてね。何も無い時には押したらだめよ」
「ワンッ」
「それじゃあ、行ってくるわね」
 ビワの頭を撫でながら、語り掛けるように呟いた。少しだけぴすぴすと鼻を鳴らしていたけれども、分かってくれたらしい。
 残りの仙具を纏めて袋に入れ、よいしょと背負う。天の衣を肩に羽織って呪文を唱え、試験を受けるために天界へ戻った。